6 見えると知って安らいだ

焼き物を始めたばかりの30代前半のこと。
作者がどういう気持ちで作っているのか、どの場所にいるのかが、作品を通して見えることに気づきました。そのとき、

『始めたばかりの私にでさえなんとなく分かるのだから、作者のことを全部お見通しという人もいるに違いない。作品を作っている以上、そういう人に中身まで全部見られるのだ。』

と、知ったのです。

一瞬、『見られるのは恥ずかしい』という気持ちも浮かんだのですが、同時に気づきました。

『人の中身が全部見えるような人は、だからどうという判断をしないから見えるはず。だとしたら、どんな汚い私でも受け入れてくれるってことじゃないか。』

そう思った途端、とても気持ちが楽になりました。
そして、

『そういう人にはどうせ全部見えてしまうのだから、取り繕ったところで仕方が無いのだ。』

と思い、とても安らいだのを覚えています。

そらまめ

良い悪いの判断があると、『こんな人だと思われたい』という自分像というものができます。

でも、人は必ずしも自分の思って欲しいようには思ってはくれません。
なぜなら、こう思って欲しいと願ったりアピールしている時点で本当はそういう人ではないわけだし、人はいろいろな面を持っているものだし、見る人の側にも器やフィルターがあったりするからです。

でも、思って欲しい自分像がある場合、そう思われなかった時に、いちいち傷つきます。
独り相撲で、きっと自分でもめんどくさいのではなかろうか・・・。

あのとき、

『どんな風に思われたっていいや。私のことをどう思うかは相手に委ねよう』

そう思えたので、私は安らいだのだと思います。

 

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