ただ見るカウンセリングを始めた経緯

 十数年前のあるとき、数人でお酒を飲んでいて『この世の終わり、もしくは自分の命があとわずかと分かった時、最後に何をするか』という話題になりました。数日後、別のグループで、また同じ話題になりました。その数日後、テレビを見ていたら、ニュースキャスターがその質問を投げかけてきました。

 『あれ?何だか同じ質問が続くぞ』と思いました。

 ちょうどテロが話題になっていた時期でもあったので、時流なのかと思い、友人に「最近こういう質問よく聞かない?」って聞いてみましたが、そんなことはないという返事。むー。私だけなのか~。

 それから、街を歩いていたら、ふと見上げた電光掲示板にその質問が流れていたり、さらに当たった映画の試写会で、アンケート用紙にその質問が書いてあったりして、何度もこの質問に触れさせられました。

 『う。この質問について、考えろってことなのか?』と思い、その質問を数日間頭に転がしていたところ、とっても大事なことに気づきました。プライベートなことなので、詳しい内容は書きませんが、もし気づかなければその後の生活がとってもしにくくなるであろうと思われるようなことでした。

 その日から、その質問を目にすることはなくなりました。

 それからしばらくして。やきもの(陶芸作家だったのです)で『ブタ』を作って欲しいというリクエストがあったのですが、どうしてもブタが出てきませんでした。作ろうと努力して、でも出てこず、もういいやとあきらめたときにそれは起きました。
 『ゾウ』を作っていたのですが、制作途中にうっかり落としてしまったのです。拾い上げると鼻と耳が折れていて、それはブタの形になっていました。以来、ブタが作れるようになったのです。

 さらに、仕事で(デザインもやっていたのです)プードルの絵を描きたいと思っていました。カットによって全く違うプードルを、ひとつの絵で表現するのは難しく、なかなかいい絵が描けません。このときもしばらくがんばったあげく、あきらめてドライブに出かけました。
 青い空を見上げると、雲が求めていたプードルの形になっていました。以来、プードルが描けるようになりました。

プードル

 

 この一連の出来事を観察して、『あれ?』と思いました。
 私はそれまで、この世にプログラムされた法則によって、全てが動いていると思っていたからです。

 ユーミンの歌「やさしさに包まれたなら」の歌詞に、
『小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた』『目に映るすべてのものはメッセージ』
というのがありますが、歌詞の神様やメッセージというのは法則のことだと思っていたのです。

 でも、これら受け取ったメッセージは、とっても個人的なものでした。

 出来事から受け取るものの中には 全人類に共通なもの(法則)と、とっても個人的なものがある・・・
 何者かが、出来事を通して何かに気付くための個人的なメッセージを送ってくれているみたいなのです。

 自分がゲームの世界(法則)の登場人物で、何者かが私をコントロールしつつ、何かを教えるためのヒントを出来事として起こしているように感じました。

 法則以外に、誰かがどこかに辿り着くためのヒントを送ってくれている・・・

 んー、なんだこれ? 何か霊みたいなものなんだろうか? 大丈夫かなぁ、ヘンなものにコントロールされて、ヘンなところに連れてかれたりしないかな?
 そんな風に思いました。

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 自分がゲームの世界の登場人物のように感じたので、今度はプレイヤーの立場になって考えてみました。

 私が、あるゲームであるキャラクターをコントロールしているとする。そのキャラクターが、自分をゲームの中のキャラクターだと認識し、「誰がコントロールしているの?」と、スクリーンを通してこっちを見上げる。そしたら、そのキャラクターとコンタクトをとってみようとするだろうなぁ・・・

 

ゲームの世界

 

 私がプレイヤーの存在に気付いたことで、案の定そのプレイヤーはハリキリはじめ、出来事を通してだけでなく、直接的なメッセージを送ってくるようになりました。

 朝、目が覚めるときに『自分は全て、全ては自分と考えよ』という言葉が頭にあったり、夢の中に『塞翁が馬』という文字が大きくバン!と現れ、同時にハッと目が覚めたりしました。
 必要なことを教えてくれる人に次々と出会ったり、必要な言葉を見かけたり聞いたりすると、背中がじーんとしたり、涙が出たりして、「これは私に必要な言葉なんだ」と教えられました。
 猛然と本を読みたくなる時期もあって、手に取る本にはこれで大丈夫なんだと思うようなことが書かれていて、まるで答え合わせをしているような感覚でした。

 『ヘンなところに連れてかれたりしないかな?』という思いはずっとありましたが、徐々に私たちの信頼関係も出来上がってきて、さらに『これを続けていると、どこに行くんだろう?』という好奇心にあらがえず、プレイヤーからのメッセージを受け取り続けました。

 プレイヤーは、私に『ただ見る』ことを教え、私が無意識のところに持っている観念を次々に見せ、それを取り除いて行く作業を促し続けました。
 それは、それまで私が目指していた立派な人になろうというのとは逆方向の、ダメ人間になる方向に進むことでもあったため、方向転換のときにはとても勇気がいりました。
 思い出したくないことを思い出したり、それまで目を逸らし続けていた、見たくない自分を見続けることにも勇気がいりました。勇気を下支えしたのは、いつも「どうなるんだろう?」という好奇心でした。

 私の性質に、『ラクしたい』『面白いものが好き』という二つがあるのですが、この二つ目の性質によって決断が促されていったのだと思います。

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 観念の掃除は10年以上続きました。手探りで試行錯誤するうち、だんだん『判断しない』『感情が動いた時を見る』などの効率的な方法も分かってきて、それからぐんとスピードが速まりました。

 続けていくうち、時々幸福感を感じるようになりました。プレイヤーからのメッセージが、しだいに自分の中から思い出すように湧いてくるようになり、プレイヤーの考えと私の考えが一致するようになり、気付いたときには私はプレイヤーと一体化していました。
 いつしか良い悪いの判断がなくなり、嫌いな人がいなくなり、嵐の中でも凪いでいられるようになっていました。プレイヤーの意識でいるとき、ものすごい幸福感を感じるので、一体化してしまってからはたいてい幸せな気持ちに包まれています。(比較などの気持ちを持つと、幸福感はなくなってしまう)
 今はプレイヤーの意識でおおむね幸せを感じつつ、今の世で生活しているという感じです。(だから『不思議の国のそらちゃん』とか言われるのだと思う)

 この過程で、私はプレイヤー(本当の自分)とキャラクター(この世で生活する自分)からできていたんだ…
 精神のレイヤー(本当の自分の世界・意識の世界)と物質のレイヤー(私が生活する世界)は別のところにあって、でも、密接にリンクしながら同時に存在している…
ということに気付きました。

 そして、本当の自分になってしまったら、いろんな情報が流れ込んで来るようになりました。けっこう楽しく生きていると思っていたそれまでの人生が、自分のものとは言えなかったことに気付きました。でも、どっちの自分で生きてもよく、その選択は各自に委ねられていました。実は私たちはなんでもありの、自由な世界に生きていたのでした。

 以上が、私が辿ってきた自分になる道です。山頂に向けてどのルートから登っても同じところに着くように、自分になるルートはいろいろあるのだと思います。
 いろいろな方法があるのだと思いますが、ルートを変更すると、また一からのスタートです。これだと決めて登りはじめたら、途中険しくても他のものに興味をそそられても、そのルートをひたすら登っていくのが早道なのだと、今はわかります。(ただし、師匠がいる場合は、天井ができがちなので、ご注意を)

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 本当の私が、私をここに導いたように、自分と一体化した今、私には人をその人自身になるよう導く手助けをする性質があります。そして、全ての人が本当の自分になったら、どんな楽しい世界になるんだろう?という好奇心があります。
 それで、話を聞く準備のできた人に会ったときには、その方法をお伝えしていたのですが、だんだんその機会が増えてきました。

 というわけで、私の『ただ見るカウンセリング』を、さる山さる子のメニューにすることにしました。本当の自分と一体化したいと心の底が望まれる方は、ぜひトライしてみて下さい。

 ただし、とても厳しいです。
 なんか楽しそうというような、ふわふわしたミーハーな感じは、一切ありません。
 見たくない恥ずかしい自分をたくさん見せられます。
 時に私に対しても、激しい怒りが湧くこともあると思います。
 個人差はありますが、多分何年もかかります。
 本当の自分になったら幸福感に包まれるので自分はとても幸せですが、前例のないオリジナルの人生を歩むことになるかも知れず、勇気を試されることがあります。
 だからといって、ステキな別人になるわけではなく、今とそれほど変わるわけではありません。

 それでもやってみたいという猛者は、ご参加下さい。(ただし、まだ時期が早いとこちらが感じる方は、お断りする場合があります)

 その後は、ご本人があきらめない限り、面倒みます。私にとっても大変な作業となりますが、一人でも多くの人が本当の人生を送れるよう、がんばります。

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そら

ただ見るカウンセリングを担当する、進藤です。
そら豆に似ているので、『そら』と呼ばれています。
一緒にがんばりましょう!