初めて差別を意識したときの話

最近、差別が何かと話題になっていますので、私が初めてそれについて意識したときの話を書いてみます。
ちょっと、話題になっている『人種差別』や『性差別』とは意味が違うかも知れませんが、共通部分はあると思います。
分かりやすく、鮮明な記憶です。
 

私は子供の頃、差別はあってはいけないし、『悪いこと』だと思っていました。
なので、先生がお気に入りの生徒をひいきすることなど、いけないことなんじゃないかと思っていました。

とはいえ、差別に対して強い反発心を覚えるようなことはなく、というのも私自身、先生から好かれも嫌われもしない、特徴のない子供だったからだと思います。
 

さて、そんな平凡な立ち位置の私が・・・

19才の夏休みに、近くの小学校でプールの監視員のアルバイトをしました。

その時、先生でもないのに「先生、先生」と、ただのバイトの私に、小学生の子供達がチヤホヤと寄ってくるようになったのでした。
 

波

小学生の子供(特に女の子)の多くは、親とも先生とも違う、中途半端な大人である、お姉さん的立場の私と仲良くしたがりました。

そんな中、私の気を引きたくて、つねったり叩いたりしてくる女の子がいました。
場合によっては、しがみついて溺れさせようとします。
悪気はないということは分かるのですが、その子が絡んで来ると、いつも痛い思いをすることになるので、自然に近くに寄らないように、つまり、避けるようになりました。
 

一方、素直にストレートに、「仲良くしたい」という気持ちを表現してくる子供もいます。
すると、単純に「カワイイ」と快を感じ、こちらからも近づきたいと思うのです。
 

その経験を通して、こう思いました

大人だからといって、みんなを同じになんて、扱えるわけがない。
人は、自分にとって不快なことをしてくる相手は、相手が子供だろうが自然に避けてしまうものだし、快を感じる相手とは仲良くしたいと思うものなんだ。
 

それまで、差別やひいきをすることを『いけないこと』だと思っていましたが、大人だろうが先生だろうが親だろうが、それ(相手の態度によって相手への思いが変わること)は、当たり前で自然なことだと思うようになりました。

そらまめ・んー?
青いバカ

みんなを平等に扱わないといけないと糾弾したところで、そんなことには全く意味がなく(そんな不自然なこと、人間にはできない)、もしも自分がどう扱われたいという欲求を持つのであれば、そう扱われるように接すれば良いだけなのだ(相手ではなく自分の問題)と、アルバイトを通して学んだのでした。

というわけで、物事をイメージだけで捉えていた、青いバカ時代の私の経験談でした。
 

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