祖母がエスパーかと思った話

夕べ、父から留守電が入っていた。
母の命日なので、実家の方で家族が集まって食事をしているということだった。

それをきっかけに、家族のことにアンテナが立ったせいか、突然、20年くらい前の祖母のことを思い出した。
 

祖母の人生

私の父方の祖母の人生は、とても地味なものだったと思う。
決して表に出ることはなく、自分を押し出す事もなく、常に家族の事を考えていた。

95才くらいで亡くなったが、祖父が亡くなってから92才くらいまで、父の家から車で15分くらいのところで、ひとり暮らしをしていた。
父は一緒には暮らさず、ちょくちょく祖母の顔を見に寄るようにしていたようだ。
 

私が30代後半になり、ようやくいろいろな物事の道理が分かるようになった頃から、この地味な祖母のことを、すごい人だと思うようになった。
思うようになったというより、地味なばかりだと思っていた祖母のすごさが、その年になってようやく分かるようになったのだろう。

昔の人は割とそういう傾向があったのかも知れないけど、自分の事は何も考えず、常に家族の事だけを考える人生なんて、送れるだろうか?
 

ライン紅葉
 

思い出したエピソード

突然思い出したのは、祖母が90を過ぎた頃のことだ。

私は里帰りして、ひとり暮らしの祖母の家に顔を見にいった。
二人で話しているとき、突然祖母が、「買い物に行ってくる」と言う。

常に気遣いばかりの祖母が、私のためにお菓子か何かを買ってきてくれようとしているのだろうと「私は何もいらないし、買い物があるなら私が行くよ」と言ったところ、「あんたのためじゃないよ」と言って、手押し車を押しながら出かけて行った。

しばらくして、祖母が帰ってきた。

買ってきた物は4点で、そのうちの一つは私への和菓子だった。
 

それを一緒に食べながら話していると、父から電話がかかってきた。
父は私に、「帰りに、○と○と○を買ってきてくれ」と、買い物を3つ指示した。

すると、その3つは祖母が先程買ってきた、4つの買い物のうちの、和菓子以外の3つだったのだ。
 

ライン紅葉
 

自分のベース

こうして、いろいろ思い出すと、私のベースは家族から出来上がっているのだなぁと、つくづく思う。
 

算命学には、人が生まれると、空っぽの肉体の中に、まず天の気が入り、次に地の気が入り、最後に人の気が入って3年かかって人間が完成するという理論がある。

自分独自の本質以外に、まだ物心がつく前に、関わった人達(主に家族)の気が、私の中にもたくさん入り込み、私のベースを作り上げているのだと、自分の内面を見る毎に実感する。
家族の要素が、自分の中のあちこちに見つかるからだ。
 
なので、命式だけを見ていたのでは、本当のその人を推し量ることはできない

このような、気を受け取ることも、『家系の恩徳』や、『家系の因縁』というものの一部なのだろう。
自分に子供がいたら、自分のカケラも子供を構成するパーツになるのだ。
人生は、決して自分だけには留まらない。
 

ライン紅葉
 

『悟りを開く』とは?

唐突だが、『悟りを開く』という言葉がある。

悟りを開くとどうなるのか、私にはよく分からない(興味もない)。
一口に悟りと言っても、段階があるだろうし、人それぞれのいろいろな形があると思うので、『こうなる』という決まったものがあるとしたら、おそらく宗教的に人を導くためのものだろう。
 

ただ、『悟りたい』と思っている限り、悟りが開かれることはないということだけは分かる。(なので、自分は悟っていると言う人は、本当には悟ってないんじゃないかと思う)
 

よく分からないけど、祖母はかなり、その『悟り』に近い所にいたのではないかと思うし、本当に悟った人は、人には気づけないだけで(本人にも気づけない)、案外その辺にいるのではないかとも思っている。
 


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