インフラが気になる

夕べ、テレビをつけたら、ある芸人さんが配管工の仕事を体験するという番組をやっていて、そのまましばらく見ていた。
途中から見たので、どういう主旨でその仕事をしていたのかよく分からないが、家の下のとても狭いところに潜り込んで、無理な体勢で長時間作業をしていた。いつもその作業をしてくれている人のことを思うと、胸が熱くなる。
 

普段、蛇口をひねれば水が出てくるわけで、生まれたときからそれが当たり前になっている私たちには、通常、水を得るために頭に甕を乗せて湖に行くという発想はない。
しかし、蛇口をひねれば水が出てくるというシステムを作ってくれるのは、こういう配管の工事をしてくれる人はもちろん、キレイな水を作ってくれる人だったり、地域全体の設計や工事、整備をしてくれる人だったりするわけで、そういう見えないところでインフラを整えてくれる人達には本当に頭が上がらない。
 

私たちの生活が便利であればあるほど、その陰(見えないところ)でがんばってくれた人がいると思う。
今の日本の生活は、本当に便利だと思うが、それだけ、過去の人達がやってくれたからだ。そのおこぼれにあずかりながら、私たちの文明は成り立っている。
いや、おこぼれにあずかるというよりも、その人達が作り上げたインフラ貯金を切り崩しながらという感覚に近いかも知れない。
 

東京オリンピックの頃に大きく整備されたインフラだが、そろそろ全般的にガタがきている。
しかし、今はそういうキツい作業に従事したいと思う人がいなくて、慢性的な人手不足なようである。
こういう仕事はお金にはなると思う(人がやりたがらない仕事は、だいたい収入が高い)が、生活が豊かになって、人がお金よりも楽さを求めるようになったからだろう。
また、親の世代も、今は子供に苦労させたくないと守りに入る人が増えているように思う。
 

快適な生活を支えてくれるはずのインフラが、維持出来なくなりつつあると思うが、目に見えないので、ほとんどの人が気にもしていないように思う。
政治家や建築関係者はかなり身に染みて考えているはずだが、人が個人の気持ちばかりを優先して、全体性に流れないので、どうにもならない。
しかし、こういうのはある日突然目に見える形になって、その時には直せる人もあまりいなくて、どうしようもなくなりそうだ。
困るとお上に文句を言ったところで、ない袖は振れないのである。
 

『世界は誰かの仕事でできている』という缶コーヒーのCMがあるが、見る度に胸を打たれる。
こういうCMや番組を通して、インフラのことをもう少し、人が意識するようになると良いなぁと、いつも思う。(が、なぜか、最近は特に思う)
 

お知らせ

2月25日(火)は、施術者さとうが所用のため、お休みさせていただき、翌日26日(水)に振替営業します。
水曜日しか休みが取れず、なかなかさる山に来られないというお客さまは、是非この機会をご利用ください。お待ちしております!

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