先日の火曜日、所用(さとう)でお店を臨時休業しました。
それは、千葉に住む夫の母、つまり私の義母のことで、出かけてきました。(ここからは、義母を母、義父を父と呼びます)
母は、数年前に乳がんを患い、完治したと思った矢先に肝臓がんを発症し、継いで乳がんも再発し、抗がん剤の治療を受けたものの、あまりの辛さに母は治療を断り、このまま余生を送ると覚悟したのです。
その後、父も腎臓の病気で入院しと、年老いた二人の今後のことについてや、母の主治医の話を聞くこととなったため、夫と二人で会いに行きました。
まだ、二人がそれほど弱っていなかった頃には、千葉から相模原に引っ越そうかという話も出ていたのですが、二人はよくよく考え、今更、アパート暮らしも出来ないという結論に至り、千葉に住み続けることに決めました。
父母は、もともと町田の団地に住んでいましたが、稼ぎのあった母は父に内緒で千葉に土地を購入しており、後にそこに家を建て、二人は町田から千葉に移り住むことになりました。
千葉に住み続けて27年が経ち、父87才、母83才となりましたが、二人とも、私たち夫婦に助けを求めません。
ただ、今後のことをどうするか、ということだけ、知っておいて欲しかったようです。
力の無い私たち夫婦を頼れないと思ったのか、それとも、自分たちで決めて引っ越したのだから、迷惑がかからないように、最後まで頑張って生きて行こうと決めたのか、どちらかは分かりませんが、そう二人は決めたようです。
このとき、私はふと、算命学の中の『心論』というのを思い出しました。
算命学では、一般的ではない生き方を望み、覚悟を持って決断し、実際にそのような生き方をするのであれば、運命が下降することは無い、と説いています。
夫婦2人の生き方は、親兄弟をおいて九州から東京へと移り住み、そして子ども達を育て上げると、次は千葉へと移動しと、まるで夫婦で冒険旅行をしているようです。
そこに、私たち夫婦を巻き込むことは、ありませんでした。
それこそ、一時だけ、あまりの音信不通に「親がいることを忘れてるんじゃ無いの?」と言われたことがありますが、それが最初で最後であり、そのようなニュアンスの言葉も聞くことはありませんでした。
たぶん、母は覚悟をしたんだと思います。もう、子ども達には頼らないって。
そして、母は主治医の先生に話していました。
「良い人生だった。いつこの世を去っても悔いはありません。」
と。
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