厳しさについて

北海道大学の学長のパワハラが話題になっていた。

北海道大学のことは私にとってはどうでもいいから現場の関係者がなんとかすれば良いことだと思うし(その人達の問題)、真偽や程度についてはよく分からないので、ここでは単なるきっかけ以上には触れないが、パワハラについてちょっと思うところがあるので書いておく。
 

私も怒りっぽい人は得意ではないが、今の、ちょっとしたことにも『怒られた』『威圧された』『パワハラだ』と感じ過ぎる傾向にも、いいかげん辟易している。

ハラスメントという言葉が流行してから、指導する方も、そう思われないようにビクビクするようになったと思う。
 

人は、自分を甘やかしてくれる人や環境にはとことん甘えがちなので、その人が鍛えられ、成長するためにはある程度の厳しさも必要だと思っている。
厳しさがないと、ちゃんと育たないのだ。

ちゃんと育たなければ、自分の未来が潰れてしまう。

いいのか、それで?
 

これから、誰のせいにもできない時代がやってくる。
お互いに、人のことにかまっていられるほどの余裕がなくなるからだ。
全ては自分でなんとかしなければならないので、今まで甘やかされてきた人や、甘えられる環境を選んできた人は、マジでキツくなるだろう。
 

誰のせいにもできないということは、自分のやった事の責任を自分で取らされるということ。
がんばらなかったことも、目を逸らして棚上げしてきたことも、全部自分に返ってくる
 

厳しかったから・・・

さて、さる山で言えば、隊長はとても厳しい。
とはいえ、不条理なことは何もなく、手を抜かないだけだ。
手を抜こうとすると、それはしっかり見抜かれて、やり直しをさせられる。

私も何度もコテンパンにやられて、学習した。
最初から手を抜かず、しっかりやることをやっていれば、何も言われないんだと。

それ以来、最もしんどい選択肢を選ぶようにした。
結果的には、それが一番楽な道だからだ。
(これは、対隊長対策のみならず、何にでも言えることだと思う)
 

そんな感じなので、算命学命式算出ソフトを作る時なども、何度も何度もやり直しをさせられた。
その時は本当に大変だし、キツいんだが、気がつくと、結果、良いものができている。

そして、何か問題があれば、すぐに修正するので、常に最高の状態になっている。
 

そうなると、どこに出しても恥ずかしくないので、堂々と人に勧めることができる。
この、堂々と人に勧められる(=堂々と仕事ができる)というのは、本当に代え難いものだと思う。
なにより、しっかりと顔を上げて、『自分が気持ち良く仕事ができる』からだ。
 

勤めている人も同じだと思う。

自分もしっかり鍛えて、堂々と『私は役に立ちます!』と人に言えるような自分を作ることができれば、仕事もしやすいと思うし、重宝されるだろうし、それは人生を渡っていく上で、大きな宝になるだろうと思う。

あ、役に立つ人って、実際に手足を動かして、行動する人だからね!
行動せずに考えてばかりだったり、口だけの人は、むしろ人の邪魔になるんじゃないかと思う。
 

 

なんか、最後が宣伝みたいになったけど、まぁ、いいか!
 

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