私(さとう)がコロナに罹患したとき、自分のある行動に気づきました。
症状が悪化しているのに、その状態に気付きにくいというか、「まだ大丈夫。」という意識がどこかにあり、パルスオキシメーターで計った酸素飽和度が、90%になって初めて「ぅわ!どうしよう!」と焦るのでした。
身体はかなり辛いのですが、意識が朦朧としている訳でもなかったので、迷いはあったものの、 救急車を呼ぶ行動をしませんでした。
過去にも同じ経験を・・・
そういえば、過去に、こんな経験をしました。
第一子、出産時のことです。
陣痛が始まり、病院に電話をすると、先生だったか看護師さんだったか忘れましたが、こう言われたのです。
「陣痛が始まっても直ぐには生まれないの。痛みがピークになり、障子の桟が見えないくらいにならないと、生まれないから慌てなくて大丈夫。」
この「障子の桟が見えないくらい。」が、私の頭にしっかり残り、陣痛が来るたびに障子を見て確かめていたのです。
さとう 「まだまだハッキリ見える。かなり痛みがあるが、まだなのか・・・。」
すると、骨盤のあたりで『ゴツッ!』という音と振動を感じたと同時に、ジャーッ!ともの凄い勢いで破水したのです。私はビックリして、直ぐ母に病院に連れて行ってもらいました。
その後は、まぁ、色々あったものの、無事に出産出来ました。
これは、我慢強いというのか、人の言葉を信じすぎて、自分の異常に気づきにくいというのか、どっちなんだろう?と思った訳です。
身体が覚えている
それと、身体の痛みや辛さに関して言えば、小学校五年生の時に経験した盲腸の手術が、かなり影響していると思います。
手術した晩、術後の痛みと高熱とで意識は朦朧とし、私はこのまま死ぬんじゃ無いかという思いをしました。看護師さんが病室に入ってきたときには、私を救ってくれる天使に見えました。すると、看護師さんがこう言うのです。
看護師さん 「辛いよね・・・。痛み止めの注射、打って上げたいけど、先生が留守で許可を得られないから、打ってあげられないの。」
天使だと思った看護師さんは、一転して悪魔に変わりました。

小五の私 「神は私を見放した・・・。」
一晩中うなされ、そして朝を迎えると、痛みがすっかり引いていることに気づき、「助かったんだ~。」と、それこそ天国にいる(行ったことないけど)気分になったのです。
あのときの意識は、確かに朦朧とし、何もかもがぼやけていて、幻覚か何かを見ていたと思います。
強烈な痛みや辛さの経験が、身体(意識にも)に残っているのか、どこかで「このくらいでは、」という思いがあるのかも知れません。
でもそれが、命取りになる可能性も十分あるわけで、今回、私が無事に復活出来たのは、「人の助け」があったからなのだと、つくづく思うのでした。
話は変わり、算命学では、十大主星という人間の精神的な活動の根源とされる10種類の星があるのですが、生年月日から、自分自身が持っている星(自分が意識できる性質)を知ることができます。
(チョコッと算命学)
私には、龍高星(りゅうこうせい)と貫索星という星があります。
龍高星は忍耐力を所有し、そこに貫索星の性質が加わることで、忍耐力がさらに強まります。
私の場合、精神的な忍耐というより、身体の痛みや辛さに対する忍耐として現れているように思います。
忍耐力って、世の中的には、「良い面」として捉えられがちですが、その時々で、善し悪しがありますよね。
次回の算命学基礎理論ブートキャンプは
2021年10月23,24日(土日)です。
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