普通、当たり前、通常から気づく

先日、また主人の実家がある千葉へ行ってきた。
町田の駅も千葉の駅も人はまばらで、とても静かな朝だった。

千葉駅に降り立ち、高速バスに乗るまでの時間をどこかでつぶそうと思ったのだが、いつもなら早朝から空いているであろうカフェも締まり、駅構内も外も、コンビニ以外は閉店していた。
 

そうなることは予測していたが、実際にそのような状態に出くわすと、普段、何気なく使っていたカフェに、ありがたいという気持ちが自然に湧いてきた。

本当に何の不自由も無い、思いのままに動ける環境にずっといたんだなぁという気持ちが、ふつふつと沸いてくるのだ。

それと同時に、コンビニにも「開いていてくれてありがとう。」という気持ちにもなった。
これから、もっと大変な事態になるかもしれない。
便利さしか知らない私は、そういう事態になったとき、何を考え何を思うのだろうと想像してみる。
 

でも、その時になってみないと分からない。
ただ、その現状に対して、不平不満ではなく、出来ることを自分でやるという姿勢でいられたらいいなって思う。
 

政府も国民の生活のために、頑張ってくれている。
「マスク2枚で。」という不満の声もあがっているようだが、その「マスク2枚」だって、今後手に入らなくなるかもしれないのだ。
そのマスクが貴重なマスクになるかもしれない。
 

だから私は、これから届くであろうマスクを、大切にしようと思うのだった。
 


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