今年、主人の両親が他界し、二人で住むには広い家には、沢山の衣類と家財が残っていた。
先週の水曜日に義父の四十九日を済ませ、その後、残された衣類の整理を始めたのだが、とにかくその量はもの凄かった。
デパートのマネキンさんをしていた義母が、紳士服売り場で働いていたこともあり、義父の衣類は、義母のそれよりはるかに量を上回っていた。
まったく手をつけていない服もあったし、着てはいるが新品に近いものもたくさん出て来た。
整理しながら私は、
さとう 「これ、リサイクルショップで売れないかな?日にちを決めて、お店の人に来てもらったらどうだろう?」
と、夫に話しかけると。
夫 「自分の罪悪感を、俺に押しつけるな。」
と、返されたのだ。
私は、一瞬、「え?」と思ったのだが、確かにそうだと自分の気持ちを確認した。
始めから夫は、「全部、捨てる。」と私に話し、私もそれに同意していた。
衣類を処分するにも、燃えるゴミで出して良いのかを、市のゴミの出し方を調べると、衣類はリサイクル品として市が受け付けているということを知ったのだ。
出された衣類は、リサイクル業者が、倉庫から収集していくそうだ。
山のような衣類を、紐で縛ってリサイクル品を集めている倉庫まで、車で往復した。そのとき、誰かが引き取って、その衣類を誰かが着てくれる、と思ったら胸のつかえが取れた気がした。
やっぱり罪悪感だった。
罪悪感の他、「得したい」という気持ちもあったのも確かである。
欲深い自分の気持ちにも気づいたのだ。
まだまだ山のようにある家財は、遺品整理の業者に頼んで、一気に片付けてもらう予定でいる。
片付けをしながら、夫は、
夫 「人が死ぬって、こういうことなんだよなって、思ったよ。」
と、つぶやいていた。
どういう気持ちで言ったのか分からないけれど、様々な気持ちが入り交じった言葉なんだろうと、側で聞いてい思ったのである。
一番の大物は、家そのものであり、無事に売却できるのを祈るのであった。
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