先日、佐藤が『心にブレーキをかける言葉』という記事を書いていましたが、以前(30代前半頃まで)の私もご多分に漏れず、人を心配するような言葉をよく使っていました。
しかし、自分の心と向き合うようになって、自分の行動に伴う感情を観察するうちに、そういう言葉を使うときは、相手にがんばって欲しくない時が多いことに気づいたわけです。
そのくせに、『相手を気遣う優しい人』という自分を演出するために、そう言うのです。
相手にがんばって欲しくない時というのは、
- 相手が自分より下だと認識している場合は、自分を超えて欲しくない
- 相手が自分より上だと認識している場合は、引き離されたくない
- でも、自分は怠けていたいので、相手に仲間でいて欲しい
という気持ちがあるときです。
相手が努力してしまったら、大きく水を空けられて、遠い存在になってしまう、離れて欲しくない、でも自分は相手のように努力をしたくない、というわけです。
これが『いい人』のやることです。
無意識にずるいですよね、『いい人』(←以前の私)。
『いい人』の一見愛ある言葉は、お試しでもある
そして、意志の弱い人や、責任を負いたくないと思っている人は、『いい人』のかける一見優しげな言葉に乗って、やめてしまいます。
しかし、本気で何かを掴もうとする人は、そんな言葉に引っかかることはなく、意志を貫き通します。
この、『いい人』が掛けてくる、自分をその場に留めようとする一見愛あるように思える言葉は、しばしば『お試し』になるのです。
人が『これをやろう!』『超えよう!』と決心すると、必ずと言って良いほど身近な『いい人』がお試しを仕掛けてきます。
そのお試しに引っかかることなく、次の段階に進めば、その人は次のステージに上るのです。
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