『いい人』ゾンビ

逃げのすすめ?

この前、ラジオを聞いていたら、あるカウンセラーらしき女性がゲストで、『逃げる』ことを勧めていました。
『逃げてもいい』『いざとなったら、躊躇せずに逃げよう』
というような内容で。

最初のうちは、まぁ、そりゃ、時には撤退が必要な時もあるよなぁと思いながら聞いていたのですが、その後、一時的な撤退ではなく、あまりにも逃げを勧めるもんで、「あ、この人、ヤバイ『いい人』だ!」と思ったのでした。
 

『いい人』(括弧付きで表現)というのは、本物のいい人ではなく、いい人でいよう、いい人であろう、いい人と思われたいという思いを持つ人のことです。
『いい人』は、特にここ20年くらいの日本人女性に(海外のことはよく分からない)、とても多くなってきたように思います。

そして、物事を観察していると、この『いい人』が、問題やトラブルの根っ子になっていることが本当に多いのですが、外に現れている姿が一見『良い人そう』『優しそう』に見えるだけに、自他共にそれを認識できることはほとんどないのです。
 

『いい人』の危うさ

さて、なぜ、私が『いい人』を問題視しているかというと、『いい人』の目的が『自分がいい人と思われること』にあるからです。
その目的故に、人に優しく接するわけですが、何しろ目的が『自分がいい人と思われること』なので、相手の人生が崩壊しようが、苦労を背負い込もうが、自分がいい人と思われればそれでいいわけです。

なので、その人のためにならなくても、自分がいい人と思われるためであれば、無意識にその人に逃げ場を用意したりするのです。
 

また、『いい人』にとっては、自分が人より優れていることも大事ですから、他人には自分より下にいて欲しいと思っています。
なので、他人には弱者やかわいそうな人でいて欲しいのです。(もちろん、無意識なので自覚なし)

ですから、人を鍛えてその人が自力で人生を切り開けるよう、強くさせるようなことはせず、「そのままでいいんだよ」「そんなにがんばらなくても大丈夫」「逃げたって良いんだよ」「やりたいことだけやればいいよ」などの一見優しげな悪魔の言葉で、人を弱者の位置に縛り付け、自分を頼るように仕向けるわけです。

『いい人』は、がんばれば人が伸びることは知っているので、人に甘い言葉掛けをして、がんばらないように操作するわけです。(何度も言いますが、無意識です)
 

基本的に人は、行動したくない・変わりたくない・責任を負いたくないという無意識を持っている人がほとんどなので、行動せずにいられる言い訳を探しています。
そこで、そんな優しい言葉をかけられたら、反射的にその言葉にしがみついてしまいます。

そんな風に、『いい人』によって弱体化され、自分も『いい人』になろうとするようになってしまったのが、今の多くの人と、世の中です。
(ゾンビみたいで怖くないですか? 私は『いい人』って、とても怖いと思うんですけど・・・)
 

何事も法則の通りにしかならない

しかし、弱い位置に留まると、自分の人生は細りますし、生きる幅も狭まります。
逃げ続けるうちに、不安に襲われるようになるでしょう。
当然、満足を感じる人生からは、掛け離れていきます。


そこで、不安や恐怖心から、弱者集団を組んで、がんばってきた人やがんばってるいる人を突き上げるようになります。

その場所に留まっているのは自分のせいでしかないのですが、「こんな『いい人』が幸せに生きられない世の中はおかしい」「うまくいっているように見えるあいつがズルをしているのではないか」と、誰かや社会や政治のせいにし始めるわけです。
 

でも、私の目には、なるべくしてなっているようにしか見えません。
ふわふわと優しい言葉を垂れ流しているだけで、どこかでがんばらずして、人生に立ち向かわずして、未来がやせ細るのはごくごく自然なことです。道理です。

幸せそうに、うまくいっているように見える人は、ほとんどの人が、かなりの努力をしています。
なぜなら、それが道理だからです。
時流に乗るなどして、たまたまうまくいくこともありますが、たまたまは長期間は続きませんし、そこに努力が介在しなければ、いずれ失う事になるので、同じことです。
 

持っている物体から手を離せば、それは落下します。
同じく人生も、何もしなければ、落下するのが自然の法則です。
みんなが好きなことだけ、やりたいことだけやって、全員が幸せに生きられる社会など、自然にでき上がるわけがありません。

今の人生が納得いかないのであれば、自力で変えたり、切り拓くしかないのです。
 

誰も他人の人生に責任は負えない

誰も(親や配偶者も)自分の人生に責任など負ってはくれません。
というか、他人の人生の責任を負うことなど、そもそもできません。

自分の責任は自分にしか負えないというのは、それがイヤでも目を逸らしたくても、自然の法則なので、逃げることなどできないのです。
耳が痛かったり、目を背けたかったりするかも知れませんが、残念ながら受け入れて立ち向かうしか、自分の人生をなんとかする道(未来)はありません。
 

『いい人』の危険性について、書きたいとずっと思っていたのですが、ようやく出せました。
多くの人に読んで欲しいです。

参考記事

逃げることについて

『いい人』関連記事

責任について

 

『いい人』ゾンビ への2件のコメント

  1. えっちゃん

    そらちゃんの記事、とってもよかったです。私の周りにも「いい人」がいてとても鬱陶しいです。ブレーキをかけるようなことばかり言うし、心配しているようだけど助けてはくれないし、もう無視して自分の信じることだけに邁進することにしました。自分もそういう「いい人」にならないように気をつけなければ。

    返信

    1. そらまめ

      アメリカにも、『いい人』はいるんだねぇ。
      本当、ブレーキばかり掛けられて、活動の範囲が狭まるよね。

      こういうこと、知っているだけでも大きく違うと思うので、ずっと書きたかったんです。

      返信

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