自分を不幸と認識する時

可哀想だったの?!?!

私は子供の頃、少々特殊な環境に身を置いていたのですが、それを特になんとも思っていませんでした。

みんなそれなりに、色々なものを抱えながら生きているものだろうと思っていたからです。

 
 

それが、『自分が身を置いている環境ってなんか普通じゃないのか?』って気付いたのは、ある程度大きくなって、周りと自分を比較するようになった時です。

その比較をするまでは、なんとも思っていなかったのに、みんなはもっと楽にワガママに子供時代を過ごしているのだということが分かったら、なんだか急に、自分が不幸で、可哀想なように思えてきたのでした。

 
 

人が自分を幸せ者だと思うか不幸と感じるかは、その人がどこに目を向けるかに過ぎない訳ですが、その体験を通して、比較さえしなければ、自分は不幸でも幸せでもないのだと知りました。

つまり、不幸になりたくなければ、比較をしなければいいだけなのです。

 

 
 

また、人から『可哀想に・・・』などと同情されたときも、『えっ?私って可哀想だったの?』と認識し、そこから不幸だと感じ始めたりすることにも気付きました。

なので、私は、しんどい状況におかれている人に、同情的な言葉をかけたり、まずしません。

その一言で、その人が不幸に邁進してしまう可能性があることを知っているからです。

 
 

しかし、世間は、この余計な一言で人を不幸に陥れる人のことを、『優しい人』『いい人』として評価します。

このことを、いつも、ものすごくヘンだなぁと思っています。

その場でちょっと優しいと思われたいだけの理由で、何の責任感もなく、軽はずみに人を不幸に陥れる、表面的な声掛けをする人のことを、どうして世間は『いい人』と評価するのだろうかと・・・

 

他人の言葉で 不幸を認識してしまうことも

以前、飼っている犬が、病気で歩けなくなったとき、後ろ足を補助する道具を作って散歩をさせていたのですが、犬はそんな状況でも、嬉しそうに散歩していました。

私も、犬と楽しく歩いていたのですが、ちょいちょいいたんです。

そんな幸せなひとときを過ごしている私たちに、「可哀想に・・・」って同情的な声を掛けてくる人が。

 
 

ホントにやめてくれって思いました。

うちの犬は賢かったので、自分を可哀想だと認識してしまったら困るなと。

そういう声を掛けてくる人には、「別に可哀想じゃないですよ~」と、笑って答えるようにしていましたが、おそらく期待している反応と違うので、変な顔をされることも多かったです。

 
 

もしかしたら、ほとんどの人が、こういったことに気付いていないのかも知れません。

 
 

2018年06月22日

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