行動できない人へ

物事を変化させるには、行動が不可欠で、精神のみを鍛えたところでどうにかなることはありません。
私も、ただ見るで自分を観察する作業をおすすめしていますが、何のために自分を知るのか、何のために心を整えるのかというと、行動をし易くするためです。

私の場合は、やりたくないと感じることがあったとして、その気持ちに向き合って原因を特定し、解消させることで、行動がスムーズになりました。
例えば、失敗したくないという思いがあることに気付いたら、『失敗しても大丈夫』『経験から学ぶことができれば、それは失敗ではない』と腑に落とすことで、行動し易くなったりするわけです。
 

人は、行動することによってしか、人生を作って行くことはできません。
また、なにかを学んだところで、行動が伴わなければ、浅い(使えない)ものとなります。

今ほど家電が充実しておらず、便利でなかった頃は、ただ生きるためだけにも行動が必要だったわけですが(畑仕事をしたり、川で洗濯するなど)、便利になってしまった今は、さほど行動しなくても生きていけるわけです。

元来、行動したくない性質を持ちがちで、しかも環境に恵まれている人は、何もせずに日々生きてしまうことができるわけで、そういう人は余計に行動を意識しておく必要があると思います。
 

行動できる人は、ほんの一握りだった

しかし、今まで、いろいろな方を見ていますが、いくら心を整えても、いざ行動が必要となった時に実際に行動に移せる人はほんの一握りで、ほとんどの人は行動できないのだということが分かってきました。

自ら行動に移せない人は、ムリヤリ行動させられるような状況がやってきますが、それでも逃げ続けると、あらゆる方面からの応援が得られなくなり、そのうちチャンスすら与えられなくなります。
 

古今東西のいろいろなリーダーの話でも、人生には行動が必要なのに、ほとんどの人が行動できないという内容が、よく出てきます。
日本の名だたる著名人を育てた中村天風さんなども、常に『ご実行を!』と、悲痛な叫びをしておられました。

一流のリーダーとなる人達は、当たり前に行動するからそうなるわけで、なぜ人が行動できないのか意味が分からず、当惑してしまうと思います。
だって、今の状況のままでいるより、ちょっと行動した方が楽になるのに、なぜやらないのか、さっぱり理解できないわけです。

しかし、自分はリーダーになるつもりはないからと言って、行動しないでいると、人生がどんどんやせ細り、まともな生活すらも送れなくなります。
 

会社員の例

例えば、会社からやった事のないワンランク上の業務を命じられたとして、それができるかどうかは別として、「やります!」と二つ返事で引き受ける人と、「やったことがないのでできません」と断る人がいたとします。
 

当然、期待されるのは前者です。
たとえ、実力が足りなくても、上司や周りがフォローしてくれますので、ほとんどのことはなんとかなります。
そして、次々と新たな挑戦のチャンスを与えられ、どんどんをつけていくのです。
 

一方、後者は、その場ではうまく逃げられたと思うかもしれませんが、周りの期待と信用を失います。
しかし本人は、『うまく逃げられた』という成功体験を元に、同じ方法を使って逃げ続け、くり返すうちに逃げ癖がついていきます。

一回の逃げで失う期待と信用は少しかも知れませんが、度重なると加速度的に大きくなります。
そうして次第に周りは何も期待しなくなり、いずれ何も言わなくなります。
 

何も言われなくなって、イヤなことから逃げ切れたと、満足でしょうか?
 

時が経ったとき、前者と後者の生産性には、格段の差ができています。
周りが何も言わなくなったとき、会社の中での後者の生産性はなくなり、前者の高い生産性によって得た利益を吸い取るだけの、やっかいな存在になっているのです。
そこに、居場所など、当然ありません。
 

流れにも同じことが起きる

これと同じことが、人生の流れの中でも起きます。

目の前に起きることにちゃんと立ち向かって行動する人と、そこから逃げ出す人の間の実力差は、ある程度の年齢を重ねたときにものすごいものになっていますし、逃げ続けると、ある時点から、変わるチャンスすらも与えられなくなるのです。
 

流れは結構辛抱強くて、何度も変化のチャンスを与えようとがんばってくれますが、それにも限りがあり、『もう知らんわ』ってなる時がある。
その人を何とかしようとするより、他の人や何かにエネルギーを向けた方がいいやとなるわけです。
流れから匙を投げられる前に、なんとか行動できるようになっておいた方が良いと思うのです。
 

ですので、これから『行動できない』ということについての記事を書いていきます。
 

行動しない人が引っかかり易いトラップ

ここのところ、行動できない人について目の当たりにすることがよくあったのですが、どうやら行動に至るには、様々なところで行動しない理由にできるトラップ(お試し)がいくつもあり、そのどこかで引っかかれば「行動しない」「やっぱりやめた」となるようです。

基本的に人は怠け者なので(私もそうなので、よく分かります)、無意識に行動しないための理由や言い訳を探しているようで、意識的に気をつけておかないと、トラップには簡単に引っかかり易いのです。(自ら引っかかりに行く)
 

行動から逃げてしまう傾向がある人は、どんなトラップがあるかを知り、意識的に引っかからないように気をつけておくことで、先に進みやすくなるのではないかと思うので、トラップについて書いてみます。
 

トラップ① できなかったら恥ずかしい

プライドからくる、失敗したくないという気持ちです。
この気持ちから失敗を避けていると、何も挑戦しないうちに人生が終わってしまいます。
私は、挑戦しない人生そのものが、失敗だと思います。
 

トラップ② やる気が出るのを待とう

やる気がないから、やりたくないから、やらないというものです。
しかし、残念ながらいくら待っても、やる気は自然には起きません。
やる気は、行動しているうちにいつの間にか出ているものです。
なので、とりあえず、小さなことから続けてみるというのを、リーダー達はよく勧めるのではないかなと思います。
 

トラップ③ 『いい人』の罠

『そのままでいいんだよ。』的な悪魔の言葉です。
逃げたい人は、あの人がこう言ったから・・・と、その言葉に飛びつきますが、『いい人』は責任なんて負ってくれません。
これについては、こちらの『いい人』についての記事を参照して下さい。
 

トラップ④ 逃げられるから逃げる

逃げ癖のついている人には、逃げる余地がある場合も多いです。
例えば、

  • 働かなくても生きていける環境にある
  • 自分から行動しなくても、周りの人がなんとかしてくれる
  • 才能に溢れていて、何でもできるので、かえって何をやったら良いか決められず、できない
  • 言い訳が上手

こういうのを見ると、恵まれた環境や、何でもできる、自分をごまかせる程度に賢いというのは、案外やっかいです。

才能にも生活にも恵まれているのに、いつも不安や不満、焦燥感にさいなまれているという人も、多いです。
 

しかし、例えば、経済的に恵まれた専業主婦が行動していないかというと、そういうわけではありません。
行動は必ずしも仕事ばかりではなく、家族の為に行動することも、好きなことを突き詰めることも、周りの人達のために何かをすることも行動です。
要するに、行動に、自主性がある(主体性を持ってやっている)かどうかです。
 

逃げ癖のついている人の逃げ方

次に、逃げやすい人がどうやって逃げるかのパターンについて書いてみます。
行動から逃げたい人は、使えるものは何でも使って(相手を傷つけてでも)、必死に逃げようとします。
なので、人は逃げる時に、人間関係を失うことが多いのではないかと思います。
 

今日は、私が過去に目にしてきた、行動出来ない人の逃げ方について書いてみます。
 

① 人や何かのせいにする

家族に反対されている、あいつがイヤなヤツだからやりたくないなど、誰かのせいでできないと言い訳します。
また、女だから、トシだから、お金がないから、時間がないから、過去のトラウマなど、逃げたい人は、あらゆるもののせいにします。
 

② 能力不足でできない

自分の能力不足のせいにします。
できる人もできない人も、能力自体には大差はなく、あるのは行動してきたかどうかだけの差です。
能力がないのではなく、やってこなかっただけのことです。
 

③ 見ない

気付かなかったふりをして、放置します。
また、目に触れないようにして、忘れます。
子供の頃、放置しておけば母親が片付けてくれたという人は、放置しておけばなんとかなると学習していることがあり、放置することが多いのではと思います。
放置によって、すぐに手を付けておけば簡単に終わっていたことが、大きくなって対処が面倒になります。
 

④ 反省したフリをしたり、謝る

子供の頃、親や先生から『反省しなさい』と言われると同時に許されたという経験をたくさんしてきた人は、これをやりがちだと思います。
反省モードに入れば、一時的に逃げられると学習しているので、反省したフリをするのです。
しかし、フリなので、本当に反省しているわけではなく、同じことをくり返しますし、また、自分に嘘をつくことになるので、自分のことも信用できなくなります。
 

⑤ 相手を脅す

『そんなこと言われると傷つく』
基本的に人は相手を傷つけたいなど思っていないので、これを言うと、手を緩めてもらえることがあり、それを学習してよく使います。

『そんなこと言われるとやめたくなる』
自分がその場を抜けると困ることが分かっている場合、『自分が辞めても良いのか?』と匂わせ、脅して逃げようとします。

『私に嫌われても良いの?』
親が子供に対して使うことが多いように思います。

『洗脳されている気分になる』
指示者に対して使います。
やりたくないことをやらされるのが不快なことは、指示側にもよく分かっています。
しかし、やりたいことだけやっていたので今のその人がいるわけで、変化の時には今までやってないこと(=やりたくないこと)ばかりを指示される事になります。
その時、指示者がいる場合、その人にこの言葉をかけ、恨んで逃げます。
 

⑥ 相手を傷つけるようなことを言って、うやむやにする

傷つくであろう発言をして、相手をひるませてその隙に逃げようとします。
しかし、相手が傷つくとは限りません。
この時に相手に対して使う言葉は、『自分が人から言われると傷つく言葉』なので、うまく観察できると、自分はどんなことに傷つくのかの発見ができます。
 

⑦ 相手を無視する

電話に出ない、家に訪ねて来ても出ないなど、相手があきらめるまで連絡を取らないようにします。
 

中間まとめ

逃げる人にとって、行動は恐怖?

DVの夫から逃げるというように、必死で逃げることが必要な時も、なりふり構わず逃げると思いますが、嫌な事から逃げる時もなりふり構わないイメージです。
それを思うと、逃げ癖のついている人にとって、行動はかなりの恐怖を伴うもののようです。
小さいうちに行動して対処してしまえばなんともないのですが、逃げ続けるほどに対象はどんどん大きくなり、どんどん怖くなっていくのだと思います。

話が出てきたので追記しますが、DV夫から離れるという行為は逃げになるのか、そこに留まるのが逃げになるのかについての考察は、こちらをご覧下さい。
 

1万時間の法則

1万時間の法則というのがあり、なにかで一人前になりたいときには1万時間それに主体的に向き合う(練習や努力、学習)必要があるというものですが、1万時間は毎日8時間向き合ったと換算すると、だいたい3.4年となります。
『石の上にも三年』とは、よく言ったものです。

しかし、この1万時間向き合うには、『主体的に』というのがポイントです。
やらされていると思いながら、しかたなく、イヤイヤ1万時間向き合ったところで、自分のものになどなりません。

初めのうちはやらされて始めたことも、やっているうちにやるのが当たり前になり、自分からやるようになっていきます。
そこから1万時間なのだと思います。
 

途中で抱く不安

また、実際に行動を始めた後も、自分のものになるまでの間、トラップは度々襲ってきます。
やっている途中にも、『できなかったらどうしよう』『自分には無理なんじゃないか』という不安が湧いて、戻ろうとする力が働きます。
閾値を超えるまでは、その力に抗う必要があります。
 

精神的なことに逃げ込む人も多い

また、行動したくなくて、精神的なことに逃げ込む人も多いようです。
精神的なことを学んでいるうちは自分が成長している気になるし、また、行動したくないので、精神方面で何とかしようとするわけです。

しかし、主体的な行動が伴わなければ、成長はありませんし、ものにもなりません。
精神面と行動面は、車の両輪のように進んで行くので、どちらか一方をおろそかにすれば、ある程度(早い段階)で成長は止まります。
 

逃げたがる人は流れを信じられないのかも知れない

私は、『自分にはできないかも知れない』と思うような時も、『それをやる状況が来るということは、きっとできるんだろう。そしてこれを超えたら、一回り大きな自分になっているのだろう。』と思っていました。
自分の実力は信じられなくても、流れのことは信じられたのです。

行動できないという人は、もしかしたら流れが信じられないのかも知れません。
 

私が流れを信じられるようになったのは、流れに与えられたことはいつも何とかなってきたし、それにより得られたものも大きい(成果以上のものが得られる)のですが、それはやったからこそわかることです。
奇跡もたくさんもらいましたが、それは流れに与えられたことをやったから、奇跡に遭遇するわけです
そして、それらを目の当たりにするほど、流れに対する信頼関係を深めていきました。
 

やったからこそ流れに対する信頼感が育まれて、行動することでできたから自分に信頼感が増して、できるからやる気も出るということになっているようです。
結局のところ、まずは行動してみるしか道はないわけです。
 

流れは、その人が生まれて来た役割を全うできるようになるために、出来事を起こします。
目の前に現れてくることは、そこにしっかり向き合い、乗り超えることで、役割を全うできるようになるために起きて来るので、それをひとつひとつ超えていくことが、満足のいく人生への近道です。
 

とるだけ育休

一連の記事が完結したと思っていた矢先、ヒントになるような記事(取るだけ育休)を目にしたので、理解を深めるために、追記します。
 

ここで言う行動とはなんぞやというと、『目的に対して主体的に身体を動かし、あることを行うこと』で、『主体的に』という部分が一番のポイントです。
この記事を読めば、それをイメージとして分かりやすく理解できると思うのです。

記事を要約すると、子供が生まれ、夫が育休を取ることが増えて来たけど、たとえ夫が育休を取っても子育てのおいしいとこ取りをするのみで、見えないことや家事をしないので、妻の負担はさほど軽くはならない。(夫の食事を作らねばならないという負担が増えるというオマケ付き)
夫のやっていることは、体(てい)の良いサボりに過ぎないが、育休を取っているというだけで、夫は『イクメン』だとチヤホヤされるというものです。
 

こんな感じで育児に関わり、イクメンとちやほやされたら、育児なんて楽勝だって勘違いしそうですよね。
 

主体性のある行動とただの手伝い

さて、どうしてこの記事が参考になるかというと、この、妻のやっていることが主体的な行動で、夫の行為は行動ではなく、ただの妻の手伝いなわけです。

妻は、育児を『自分のやること』と認識しているので、いろいろなことに気付きます。
オムツを替えれば、それを処理することも必要だし、ミルクをあげるにはミルクを作ったり容器を洗ったりする作業が必要になる。
子供がぐずれば何を要求されているのか考えるし、子供に清潔な場所を提供するために掃除もする。必要な物品の調達もする。
子供を育てるには、家事も必要。

そこには数限りない、目に見えない、名前のない仕事がありますが、主体性があれば(自分のやることと認識していれば)、それらに気づくことができます。
 

しかし、主体性がなく、『妻のやることを手伝っている』という認識しか持っていない夫には、それらに気付くことはできません。

そう、物事を主体的にやるのとそうでないのとでは、見えるものや入ってくる情報が全く違うのです。
よって、一見同じような行動をしていても、両者の得られるものには、雲泥の差があるということが分かるでしょうか。
 

夫にちゃんとした育児をして欲しい場合は、育児に主体性を持ってもらう必要がありますが、人の意識を変えるというのは、それはそれは大変な作業です。※

しかし、例え育児に主体性のない夫でも、仕事には主体性を持っていたりすることもあるわけですし、妻が外で働い時には、指示待ちの手伝い感覚で仕事をする場合もあるわけで、人の問題ではありません。
そこはその人が、『何を自分のやることと看做しているのか』にかかっているのだろうと思います。
 

どっちにしろやらねばならないことは、覚悟を決めて自分のやることとしてしまった方が、得られるものも大きいし、進みも早いし、ストレスもないですよ。
 

※もしも人の意識とそれに伴う行動を簡単に変えられる人がいたら、そのノウハウを言語化して、ぜひ公開して欲しいです。(その情報を欲しい人は、たくさんいると思います)

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