夕べ、金曜ロードショーで、ディズニーの『美女と野獣』をやっていました。
ラストシーンで、野獣が王子に変わった時には、『野獣のままでええやん!』って、全国で一斉にツッコミが入っていたのではなかろうかと想像しています。(実写版ガストンは超カッコイイと思う←私情)
おそらく、かなり前に作られたものをリメイクしたものだと思うのですが、キャラクターデザインがとても古いのです。時代故の技術的な稚拙さとはまた違い、『古い』と感じるわけです。
この、デザインを古いと感じる感覚って一体何なんだろうと以前から考えていますが、まとまらないので、これについては引き続きアンテナを張っておくとして。
美女と野獣の主題
さて、『美女と野獣』の主人公は、もちろんベルと野獣ですが、主要テーマは、野獣とガストンの対比にあるのではないかと思います。
共通点は、どちらも、強く、我儘で、傲慢なところです。
野獣は、自分の気に入らないと怒鳴り散らしたりしますが、部下たちが震えながらも意見をしますし、そのうちベルと喧嘩をするようになって素直さが出てきて、他人と心を通わせられるようになり、だんだん優しく変化していきます。
一方、ガストンは、ことある毎に周りからチヤホヤされるのです。
ベルにフラれて落ち込んで、せっかく自分を振り返るチャンスを与えられたのに、そんな時でも周りの者達がおだてて、いつのまにか有頂天になってしまいます。
そして、傲慢さに拍車をかけ、次第に暴君へと変化していきます。
暴君ガストンを作り上げたのは、半分は周囲の者達ですが、作り上げた本人すらそれに気付かないのが、なかなか怖いところだと私は思います。
生と剋
算命学(というか、五行説)には『生』と『剋』という考え方があって、前者は自分を生じるもので、後者は自分をやっつけるものです。
そしてそれらは、自然界に同じだけ存在しています。
同じだけ存在しているということは、同じ分量を受けるのが、自然(バランスが取れている)ということす。
『生』と『剋』と聞くと、一見、『生』の方がありがたいように思いますが、『剋』のおかげで鍛えられ、レベルアップするのです。
チヤホヤと『生』しか受けず、暴君へと変化していったガストンと、喧嘩や意見により『剋』をたくさん受けて、人への思いやりを知った野獣の変化を見ると、『剋』の大切さがよく分かるのではないでしょうか。
喧嘩という努力
さて。
喧嘩は、良い関係を作るのには必須だと思っていますが、結構しんどいものです。
疲れるし、自分もそれなりのダメージを受けるので、できれば避けたいものには違いありませんが、しっかり喧嘩をしないと、分かり合うことも折り合い地点を探すこともできません。
喧嘩は、相手との関係を作るため、努力でするものだと私は思っています。
そして、喧嘩は双方向のものです。
一方的に責め立てたり、言われっぱなしになるのは、喧嘩ではありません。
自分を責める相手の言葉に反発するように、無意識にある自分の思っていることを吐き出して、そこでようやく、自分の考えていたことに気付けたり、「あれ、これってなんかおかしい」と、振り返ったりできるようになるわけです。
言いたいことを言うばかりではなく、相手に吐き出させることも喧嘩の目的なので、喧嘩を売れば、同じだけのものが向こうから返ってくる必要があります。
ということは、喧嘩を売るには、相手にも自分を責めさせる度量が必要となるのです。
賢く、自己が確立していたベルには、野獣と喧嘩ができるだけの度量がありました。
そういう二人が渡り合うことで、相手のことを知り、自分を振り返り、思い合うようになったわけです。
ちゃんと喧嘩ができる相手は、本当に貴重です。
大事にしなければと思うのですよ。
イエスマン3部作
あきこ
デザインが古いという感覚…私見ですけど…例えば「巨人の星」などの古いアニメは全体的に暗くて彩度が高く明度が低い色使いですよね?アニメに関してはそんな感じが古く感じます。
サイトのデザインに関しては装飾が多い、高彩度色の面積が大きい、余白が少ないと古いなと感じます。余白が多く明るいサイトはスタイリッシュに感じます。さる山さんの前のHPは少し古い感じがしていたので、今のHPはとても素敵だと思います♪
そらまめ 投稿者
あきこさんは色彩に古さを感じやすいのですね。
私は線に感じやすいいです。
髪型とか化粧にも古さを感じるようになりますが、流行して頻繁に目に触れたものは、古いと感じるようになるのも早いようにも思います。
そう思えば、『飽き』が関係しているのかも知れないとも思いますが、時代の空気も絡んでいるような・・・
新しいサイト、気に入っていただけて、嬉しいです^^ ありがとうございます!
あきこ
「飽きる」までの法則などあるのでしょうか?
大好きで毎日食べられるほどハマった食べ物がある日突然興味が失せたりしますよね。
流行語は、女子高生から流行り出して広まって、小学生が使うようになったらもう末期でそこから廃れていく…と娘が高校生の時に言っていました^^;
そらまめ 投稿者
ありますよね、ハマってあんなに美味しいと思ったのに、スイッチが切れたかのように見向きもしなくなる。
音楽などにもないですか。
女子高生の流行語は、月単位ですよね。
流行については、中心(集合的無意識)が関わっているのではないかと思っています。
あと、家具など、古くなると徐々に魅力を失いますが、ある日アンティークとして新たな輝きを取り戻すものがあります。
あれも、ただ古くなって終わるものと、アンティークになるもの、デザインや質などが関わっていると思うのですが、ちょっと不思議な感覚です。
人とこういう話ができるとは思わなかったw
匿名
音楽にもありますね!
リピート再生するほどハマっていたのにある日突然マイブームは終わります^^;
家具を含めて最初は斬新だったものが時を越えてアンティークになっていく過程も興味深いですね。
この手の疑問は次々に湧き、その境界線って何なのか?というところまでいき、私は止まってしまいます。
私も誰かに話したことはなかったかもw
そらまめ 投稿者
その、『何なのか』を知りたくて、ずーっと考えちゃうのが私なんですw
とはいえ、常に考えているわけじゃなくて、知りたいと思うと勝手にアンテナが立つようで、そこになにかがあったときに情報が引っかかってくるんです。
そんな風にして引っかかってきた情報がまとまったら、記事にしています。