ネットで調べたところ、洗濯機も掃除機も1960年代に普及し始めたとありましたが、私が小学生のころは、まだ箒とハタキを使い、畳や床をぞうきん掛けしていた記憶があります。
洗濯機や掃除機が庶民の手に届くようになったのは、恐らく1970年頃なのではないでしょうか。
おばあちゃんの動きには無駄がない
前回の記事にも登場した100歳のおばあちゃんは、40代ころまで雑巾掛けを行い、洗濯も手洗いだったことでしょう。食堂を切り盛りしながらのことなので、今に比べたら相当な体力を使っていたと思います。
先日、おばあちゃんが出演している動画を観たのですが、調理している姿勢や料理を運ぶ姿勢を見て、「すごい!」と思いました。
身体の軸がまったくブレず、安定感があり、人に安心感まで与えていました。
おばあちゃんの姿から、『動きに無駄がない』というのは、こういうことなんだと思いました。
動きに無駄がないとは、スムーズでグラつきがなく、リラックスしていて余計な力が入らず、的確な手順で動いていることだと思うのですが、おばあちゃんの動きはそれらが全て揃っていて、見ていて「美しい」と感動しました。
美しさは特別なことをするのではなかった
冒頭で「相当な体力を使っていたはず」と書きましたが、無駄な動きがないのであまり疲れないと思われ、おばあちゃんにしてみたら、「普通」にこなしていたのはないでしょうか。
以前、ある人の動きを見て、「美しい」と思ったことがあるのですが、その「美しさ」の正体は、「動きに無駄がない」ことなのだと、おばあちゃんの動画を観て思いました。
そして、そういう「美しさ」は、特別なことをするのではなく、日々の生活により手に入れることができるんだと、強く思うようになりました。
掃除や洗濯は、昔に比べたら楽になりましたが、その動作の中にも気を付けるべき点がたくさんあるようです。
毎日の行動に丁寧さを意識して、動作の改善を行い、美しい動きを手に入れようと思います。
そして、私自身が体験、経験したことをお客様と共有し、施術を通してお客様自身が「美しく」なることを目差したいと思っています。