やればできるというベース

友人のなめちゃんが、最近、あることに気付いたようだ。

彼女はずっと、『自分のことが嫌い』と言っていて、私は『何でだろ?なめちゃんはいいところがたくさんあるのに』って不思議だった。
自分を嫌いになるってどういうことなのか、私にはどうにも理解できなくて。
その、自分を好きになれなかった理由が、『がんばればできることをやってこなかった』からだということが分かったらしい。

ここ数年、あることをがんばって成し遂げるという経験をしたおかげで、『やればできる』ことに気づき、そしたら、「なんだ、ただやればいいだけのことじゃん、なんでやってこなかったんだろ。私のあほ~」(←そらまめ意訳)ということが、腹落ちしたらしい。

私が『やればできる』んだって気付いたきっかけは、中学3年生の時。
私の親は勉強しろとか言わなかったし、ろくに勉強したこともなくて、成績は常に中の中という感じで。

それが、中学3年生の夏休みの初日に部活で骨折し、その夏休み一杯、ギプスで過ごす事になった。
どこにも遊びに行けないし、勉強くらいしかすることがなくて勉強していたら、成績がぐんぐん上がって、みんなの前で先生に褒められた。
自分に合った勉強の仕方も分かって、勉強が苦ではなくなった。

以前それを、教師資質を持つ隊長に話したら、「そういうきっかけを持つって大事なんだよ!」と、なぜか涙ぐんで感激していた。
  

自分の過去を振り返っても、『やればできる』と思うからこそチャレンジしたこととかもたくさんあって、それによってできることがどんどん増えていったんだよね。

『やればできる』という思いは、人生のベースになるんだなぁと改めて思うし、それが自分を好きになることにつながるわけで、それを早めに体感するのは、とても大事なことだと思う。
 

自分のことがどうにも好きになれないという人は、もしかしたら『やればできる』を持っていないのかも知れない。

『今』は、自分の人生で一番若い時だから、そういう人は何かにチャレンジして、できるだけ早めに、そのベースを作ってほしいものだと思う。

そういえば、隊長と、寅さんの主題歌の歌詞について話し合ったことがあって。
『ドブに落ちても根のある奴は、いつか蓮の花と咲く』ってとこ。

人生の中で落下することは、誰にでもある。
同じように落下しても、そのまま落下し続ける人と、また再起する人がいて、後者には『根がある』というわけだが、『根』ってなんだ?
というのを二人でう~んと考えて、答えが出ずにいた。(隊長と私は、よくこういう話をしている)
 

今、私は、『やればできる』体験(自分への信頼感)があるかないかじゃないかと思ってきているんだが、どうじゃろね。>隊長