過去の記事で、そらちゃんが算命学の『分身律』のことを書いていましたが、あるとき、その分身律が、私(さとう)に向かってやって来たのです。
分身律は、「かつて自分が発した次元の低い気が、より大きくなって、そして他人の肉体を借りて、自分を攻撃する」というものなのですが、これが現実となって起こってきたことが、ハッキリ分かったのでした。
分身律は、親子関係を観察した事から生まれた発想なのですが、子どもが、独り立ちするまでの間には両親の気を受けるので、子どもの霊魂には、親の気が多く入り込んでいます。
独り立ちした子どもが、不自然な気を発して親を攻撃したとすれば、その行為は、子育て中に発した親の気であるということです。
悪いことばかりが分身律として表れるのでは無く、善(親孝行)となって自分に返ってくる場合もあります。
私(さとう)に起こってきたのは前者の方であり、子どもの姿から、かつての自分自身の姿をまざまざと見せつけらたのでした。
実際に形になって現れたときには愕然としたのですが、過去の自分の行動を思い返せば、当然の出来事だと思い知るのです。
そう思うと、子どもに対して、本当に申し訳なかったと思うのですが、時すでに遅し、過ぎた時間は戻りません。
そうなれば、過去の自分と目の前にいる子どもに、向き合わねばならなくなるのです。
分身律が起こる時期を知っていた
なぜ私に分身律が起こっているかが分かったかというと、私の後天運から、この時期に分身律が起こるであろうと、算命学の観点からあらかじめ予測していたのです。
また、それがお金や家族との関係という形となって現れるということも分かっていました。
私もキツかったですが、子どもとて同じことであり、子ども自身も、心に鉛のようなものを抱えていたに違いありません。
そういう時、相手(子ども)に対して、直接「何かをしよう」としたところで、まったく受け取りませんし(過去の私を見ているので)、できることは、そらちゃんの言う、「背中を見せる」ことのみなのだと思います。