『子供の成長を阻もうとする母親の無意識 』という記事を書いたところ、ある方が
「あれ、私のことです。私の中にそういう気持ちがあることに気付きました。」
とおっしゃっていました。
私は「この人、すごいな」と思いました。
なぜなら、かなりの割合の方の無意識の中にそういう気持ちがあるのですが、大抵の方は自分がそういう気持ちを持っていることを認めたくなくて、目を逸らすからです。
なので、「ちゃんと自分と向き合う覚悟がある人だ。すごいな。」と思ったのです。
さて、その方
「気持ちがあることに気付いて、どうしたらいいんでしょう」とおっしゃっていたので、それについて書いてみます。
どうしたらいいのか
弟子(子供・部下など)が実力を付けていくと、次第に自分に追いついてきます。
そして、いずれは抜いていきます。
師は衰え、弟子は伸びていくのですから、細胞が入れ替わるように当たり前のしくみです。
その成長を、自身の喜びとできる人が本当の意味では師になり得る器を持った人だと思うのですが、そこで師には師の葛藤があります。
差があるときは気持ち良く育てるのですが、だんだん縮まっていくと焦りを感じます。
そしていずれ、弟子の足を引っ張り始める人が本当に多いです。
何がこうさせるのかというと、「物事には良いことと悪いことがある」という思いです。
良い悪いがあるので、上下(比較)も存在します。
上下があることで、自分が優位にいたいという気持ちが生じるのです。
良い悪いの観念を消すために効果的なのが、『状況や自分の感情・気持ちを判断せずにただ見る(観察する)』ことです。
では、「良いも悪いもない」というのが完璧に理解(自分のものとして腑に落とすことが)できたら、どうなるでしょうか。
他人との違いは上下ではなく、ただの個体差になります。
弟子であっても子供であっても、個性が『全く』違うのです。
生き方も、得たものの生かし方も、伝え方も、違います。
その違いを、ただ楽しめるようになります。
言葉にするとそれだけのことですが、これってけっこう大きなことなんですよ。
2013年11月18日