優秀な人へ

最近気づくと、私の周りには、とても優秀な人がたくさんいるように思います。
それで、自然に優秀な人の傾向が目に入るようになりました。

優秀な人は優秀な人で、その優秀さゆえにいろいろ抱えることになるのだなぁと思いながら見ているのですが、優秀な人がこれを知っていると楽になるであろうことがあるので、それをお伝えしておこうと思います。
 

与えられた才能

優秀さというのは、与えられた才能です。

人には音楽、絵画、料理、スポーツができるみたいな分かりやすく生かせるものから、
目が良いとか耳が良いとか、人付き合いや会話、体が丈夫である、私みたいな本質を知ることや嘘をつくことまで、
様々な才能があって、それを生かせたり生かせなかったりして、生きています。

そのひとつに、『優秀さとそれを伸ばす才能』というものがあります。
 

自分は努力してきたと思うかも知れませんが、その努力ができるということも含めて才能で、その才能があったからこそ磨くことが出来たわけで、そうして今のところにいます。
 

優秀な人が自分は普通だと思う訳

さて、世の中には『謙虚でいるべき』という風潮があります。
本当の謙虚さというのは、自然に身について勝手にそうなるものなのですが、
『謙虚でなければいけない』という観念の元に、自分からへりくだる場合も多いです。
 

また、優秀な人の周りには、同じく優秀な人がたくさんいますから、そういう人たちと比べて
「自分、大したことないな」
という思いを抱いたりするものだと思います。
 

また、自分のやってきたことは自分にとっては当たり前のことであることが多く、特別感を感じにくい。
 

これらの思いから、実は結構優秀であっても『自分は大したことない』『普通だ』と思いがちなのです。
 

自分を普通と思う弊害

このように、優秀であるのに『自分は普通だ』という思いを持っていると、いろいろな弊害が起きてきます。
 

例えば、自分が当たり前にできることを、目の前の人が出来ないとします。
自分を普通だと思っていると、『普通の自分ができることを、なんでこの人は出来ないんだ?』と思うため、相手の努力不足だと感じて相手を責める気持ちを持ってしまうのです。
 

違うから。
それは相手の努力不足じゃなくて、能力の問題だから。
どうしようもないんだから。
 

自分の優秀さを認める

なので、優秀な人は、自分が優秀であること、人とは違うのだということを、しっかりと認めてください。

そして同時に、優秀であることは単に才能のうちの1つであるというだけのことも知っておいてください。
優れているという字が使われているからと言って、別に他の人より上にいるわけではありません。
目が良いとか健康であるという才能と同じようなものです。
 

自分は優秀で、人とは違うけど、だからといって上にいるわけではない。

このことが腑に落ちれば、優秀さ故に悩むことはずっと減り、才能である優秀さを、気持ち良く生かせるようになっていきます。
 

2014年12月24日