近所のスーパーに買い物に行った。
レジに並んでいるとき、レジ担当の女性が素晴らしくよく通る声をしているのに気付いた。
私はあまり通る大きな声が出ず、大きい声を出したいと常々思っているので、『よく通るステキな声だなぁ』と、うっとり思っていた。
ところが・・・
私の前のおばさんのカゴに、半額シールの貼られた商品が大量に入っていたのである。
そのレジ担当の女性は、おばさんのカゴの中の品物を取り出しては、バーコード読取り装置にピッと通し、その度に「半額でぇーす」と言葉を発した。
よく通るその声はフロア中に響き渡り、おばさんは半額商品を大量に買い込んでいたことを周りの人に知られることになり、とてもいたたまれない様子だった。
「うわー、おばさん気の毒~・・・次からこの人の列に並ぶのはやめよう」と、意図的にその人のいるレジを避けるようになった。
数日後の夜、またそのスーパーに行った。
彼女のレジにはほとんど人が並んでおらず、他の列にはお客さんがたくさん並んでいるのに、たまに来た人のレジが終わるとすぐに途切れてしまう。
お客さんがいなくなると、積極的に声を掛け、こちらを利用するようにと促すのだが、お客さんは移動しない。
その一生懸命な姿を見て、切なくなった。
彼女はなにも悪いことなんてしていない。
一生懸命、教えられた通りに職務を全うしているだけだ。
どうして私の周りからは人がいなくなるんだろうと、きっと不思議に思っているだろう。
あの素晴らしい声は、使いどころによっては、こんなことになっちゃうんだなぁ・・・と思った。
そして、以前会社勤めをしていたときの同僚のことを思い出した。
私の隣の席にいた彼女も声が大きかった。
明るくていつも笑顔で、よく「あーははは!」と笑った。
その笑い声がいちいち、業務中のフロア全体に響いた。
隣の席の私は、あまりの声の大きさに、物理的に頭痛がした。
いい子なのに、やっぱりあまり人気がなかった。
内緒話もできないし、女子同士の親密な関係にはなかなか至らないかも知れない。
考えてみれば、彼女が持っている質は、陰陽の陽ばかりだ。
日陰がなくて、とにかく熱い。
やっぱり、使いどころとバランスなんだろうなぁ。
生と剋
算命学ではこれら女性たちの例を『剋』という。
声が良く通る人の中にも、無意識にTPOに合わせて小さな声が出せる人もいて、そういうことを無意識にできることを『生』といい、意識しないとできないことが『剋』だ。
声に限らず、どんなこともそうだ。
何も考えずに人との関係を築ける人は『生』で、がんばらないと人間関係を作れない人は、それにおいて『剋』だ。
こういうことを知ると、『生』が多い人生がいいなと、つい思ってしまうが、『生』ばかりの人生は、それが当たり前なので意識ができず、学びが少ないらしい。
『剋』の部分に学び、それを乗り越えることによって人は成長し、器量を大きくしていける。
もし、不運に嘆いている人がいたとしたら、それを他人や環境のせいにするのではなく、そこから何を学び取るかを考えてみるといいと思う。
器を大きくすること、それこそが、自分の運命の変革につながる、手っ取り早い道なのだろうと思う。
『生』の本人は才能に引っ張られてどんどん上っていくが、努力や工夫をして会得しているわけではないので、やり方を人に教えることができないのではないだろうか。
人に何かを教えることができるのは、『剋』を持っていて、そこを乗り越えた人ではないかな、と思うのである。
2013年5月11日