道で、散歩しているフレンチブルに出会いました。
その子は人なつっこい子だったようで、声を掛けるとフリフリと飛んできて、すごい勢いで甘えてきて、とても可愛い。
飼い主さんも、犬が可愛がってもらえて、笑顔です。
しばし遊んでもらって、じゃぁねと別れました。
私はよく散歩中の犬に声を掛けます。
こんな風に可愛くあけっぴろげに接してくれる子もいれば、うなって威嚇してくる子もいます。
威嚇してくる子の飼い主さんは、犬が私を噛むんじゃないかとびくびくしています。

その子の性格によって、こちらの接し方もずいぶん違います。
甘えてくる子には笑顔でなでたり話しかけたりしますが、うなったり威嚇してくる子にはそれ以上近寄らないようにしています。
どちらの態度をとるのも同じ私なのですが、相手によって全く違う顔を見せます。
甘えてくる犬にとっては、私は笑顔で遊んでくれる人だし、
威嚇してくる犬にとっては、私は素っ気ない人なわけです。
人はいろいろな面を持ちます。
あの人はこういう人、という言い方をしてしまったりしますが、実はそれは自分にだけ見せている面です。
つまり、自分の接し方で、相手がそういう人に見えているにすぎません。
犬目線で見てみる
これを犬目線で見てみましょう。

私が世の中に対して好意的で、「人は自分を可愛がってくれる存在である」と思っている犬だとします。
人を可愛がってくれる存在だと思っている私は、自分に笑顔を向けてくれる人に寄っていき、可愛がってもらおうとします。
そして、その人は私の期待に応えて可愛がってくれる可能性が高いです。
危険そうな人には、飼い主が近寄らせないから大丈夫です。
すると、ますます人に対する肯定感が強まっていき、ますます可愛がられる犬へとなっていきます。
そして、世界は好意的なものだと解釈し、実際にそうなっていくでしょう。

私が世の中に対して否定的で、「人は自分を叩くかも知れない存在だ」と思っている犬だとします。
自分に笑顔を向けてくれる人がいても、どっちなんだろう・・・と不安で近寄れません。
こっちが不安そうな顔をしていると、相手は「なでられるのはイヤなのかしら」と思って、それ以上踏み込んできません。
私にとっての世界は、どんどんよそよそしく否定的なものになるでしょう。
自分の世界は自分が作っている
自分の解釈によって、自分がまず相手に対してどう接するかによって、世界はそのようになっていきます。
思いは現実になるというのは、とても簡単にいうと、こういうことなのだと思います。
自分がどういう世界にいたいのか・・・そこを基点に自分の思いを置けば、自分の周りにそういう世界ができあがっていくのだと思います。
楽しい世界にいたければ、楽しくいればいい。
信頼し合う世界にいたければ、まずは信頼すればいい。
愛のある世界にいたければ、自分から愛せばいい。
まずは自分から、でしかないのでしょう。
2015年1月5日