よく、精神を鍛えるとか、整えるとか言いますが、何のためにそれをするのでしょうか。
精神が強くなったらラクに過ごせるようになる?
もちろん、それもあります。
でも、その先にあるものは何なのでしょう。
それについて書いてみます。
相反する意識と無意識
以前にも何度か書いているので、私たちの思いは意識できるものと無意識のところにある意識できないものから構成されているということは、このブログの読者さんはすでにご存じのことと思います。
この、意識できるものと、無意識のものは、実は相反していることが非常に多い。
例えば、
「幸せになりたい」と意識できるところでは思っているのに、無意識では『幸せになっちゃいけない』と思っていたり、
「病気を治したい」と意識できるところでは思っているのに、無意識では『治りたくない』と思っていたり、
「お金持ちになりたい」と意識できるところでは思っているのに、無意識では『金持ちになりたくない』と思っていたりします。
どうして無意識はそんなことを思ってしまうのかというと、
過去に自分が犯した人を傷つけたり嘘をついたりという許せない自分を知っているので、「あんな悪いことをした自分は幸せになるべきではない」と決めつけていたり、
病気でいることによる、許されたり、甘えられたり、優しくしてもらえたりという特典に、味をしめていたり、
お金持ちになると大変そうだとか嫉妬されそうだとか、金持ちはみんな悪いやつなどというなんとなーくな思い込みで、お金持ちを否定していたりするからです。
意識できるところで思っていることと無意識で思っていることが違っていると、頭では「こうしたい」と思っていても、自分でどこかで邪魔をしてしまいます。
たとえば、幸せが手に入りそうになったら自分で壊したりしますし、病気を治したりお金持ちになるいい方法を教えられても、なんだかんだとやらない理由をつけて、ぐずぐずと真剣に取り組まなかったりします。
このように、意識と無意識の乖離は、願望の邪魔をしてしまうので、精神(内面)に向き合っていらなくなった思いを排除して、そこを揃えていくということをすればいいのです。
無意識の邪魔が入らなくなったら
さて、精神を鍛えたら、本来の目的である、意識できるところにあるもの(願望)に、真っ直ぐ向き合えるようになります。
無意識の邪魔が入らないので、願望をクリアするのに、寄り道なく真っ直ぐに進めるようになります。
努力の方向を間違えなくなるのです。
そう、精神をなんとかしたからといって、それだけで物事がうまく運ぶようになるわけではありません。
そこには行動が必要です。
行動したくないために、精神の世界に逃げ込もうとしている人は、そこでジレンマが起きるでしょう。
でも、物事は物理法則の通りにしか起きません。
何も行動せずに放ったらかして、精神を鍛えるだけで部屋が片付くことはないし、思った『だけ』でお金が入ってくるようなこともありません。
自分の無意識に邪魔をされなくなったところで、思いっきり目的に向かって努力すれば、圧倒的な速さで願望が達成されるようになりますよ。
2013年07月06日