常にラクを求めていた
私はめんどくさがり屋なので、子供の頃から常に、ラクを求めて生きてきました。
どうすればラクか、究極のラクは何か、そんなことばかりを考えていたら、今のところに辿り着いたのでした。
効率よくラクをするために、まず観察をする。
とっとと片付けて、気がかりから解放されるために、行動する。
大変な思いをしないように、問題を芽のうちに見つけて摘む。
自分がラクに感じるように、受け止め方や考え方を変える。
嘘をついたり見栄を張ったり人のことを嫌ったりすると、嫌な気分になって心がラクでないので、そういうことから離れるようにする・・・
ラクであることが、常に私の指針となってきましたし、人生の目標としている『全ての調和』も、そういう世界で生きられたら、さぞかしラクだろうなぁ・・・という思いからです。
当たり前の法則に気付けたわけ
さて。
何故、ラクをする為にこういう方法を取るようになったかというと、私は早いうちに、『目の前にあることはどうにかしなければ自然にはなくならない』という、ごく当たり前の法則に気付いたからです。
どうしてそれに気付けたかというと、母の体が弱く、私が子供の頃から人生の大部分を入院をして過ごしていたからです。
小さな子供の頃から自分のことは自分でしなければならず、なんとかしない限り、どうにもならなかったのでした。
今思えば、母の体が弱かったことも、私のめんどくさがり屋という性質も、全部ここにくるためのものだったのだなぁ・・・と思えるのでした。
無駄なものは、ホントにないなぁ。
2013年3月21日