才能という道具

 

人は、いろいろな才能を持って生まれてきます。

でも才能というものは、『偏り』なので、そのままにしておくと欠点になったりもします。

 

そこで、子供の頃から、その才能が発芽していくように、様々な経験を与えられます。

 

若い頃にちょっと人と違う経験が与えられたという人は、それが困難な道であっても、それが才能を磨くためのものであることが多いわけです。
 

例えば、いじめに遭ったという経験から、どうすればいじめられないようになるのだろうかと考えて、才能に応じて笑いのセンスを磨いたり、強くなろうと心身を鍛えたり、人とうまくやっていくための和合性を磨いたりするわけです。

中には、いじめという現実から目をそらして、引きこもりになってしまう人もいるかも知れません。

 

そのときは、孤独と向き合う時間が与えられたり、人と触れ合わないことで独特の感性が磨かれていったりするのだと思います。

 


 

さて、そうやって身につけていった、それぞれの感覚や活動というものは、その人の才能となります。

もともと持っていた才能の芽を、体験によりブラッシュアップさせられた状態です。

 

そしてそれは、その人が生まれて来た目的を全うするにあたって、その後使う『道具』になります。

しかし、ナイフが便利な道具にも、人を殺す凶器にもなるように、どんなに効果的な道具であっても、使い方を誤ると、人を傷つけ、己の身をも滅ぼします。

 

道具を持ったのなら、訓練して、使い方をきちんと覚えなければなりません。

さらに、その道具を持つにふさわしい人格をも身につけていく必要があります。

 

耐えてきた過去があるのなら、クサるのではなく、それが『あれのおかげ』に変わるよう、頑張ってそこを越えて欲しいと思います。

 

自分だけの独特の道具(才能)を持ったと感じられた方は、次はどうやったらそれを生かせるようになるのか、たくさんたくさん考えてくださいね。

 

2014年09月07日

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