自由に選択できる
日本人はほぼ全員、自分のやりたいことをやって生きています。
「いや、そんなことはない。私は家族のために自分を犠牲にして働いている。」
「不本意だけど、生活のために仕方なく、この仕事をしているんだ。」
と思った方もおられるかも知れません。
でも、奴隷や徴兵の制度があるわけではありません。
監禁状態にあるというのならいざ知らず、例え人に命令されたとしても、家族のために自分を犠牲にしたいと思っているからそうしているわけで、首に縄を付けて犠牲になることを強要されているわけではないと思います。
自ら「それ」も選択している
人に強く言われても、それをはね除ける努力をしたりそこから離れたりしないのであれば、自分の選択であり、やりたいことなのです。
『世の中のルールとはこういうものだから仕方ない』と思っていたとしても、自分の気持ちより社会のルールを優先することを選択しているわけです。
『もう年だからできないのだ』と思ったとしても、それは行動しないための言い訳に過ぎません。
また、『この場所はイヤだ』と思っていたとしても、飛び出すという行動をせずにそこに居続けるわけですから、自分でそこにいることを望み、選んでいるのです。
そこに居続けることが、その人のやりたいことなわけです。
選択した結果の「今」
つまり、今の自分の状態は、自分の選択の結果なのです。
選択したものは、行動となり、やがて習慣になります。
もしも、選択が不自然なものであれば、習慣も不自然なものとなっていきます。
不自然な習慣を放置した結果、目に見えるまで成長したものが、トラブルです。
選択や習慣を変えてみる
目に見えるまでにトラブルが育ってから、ようやく人は慌てます。
でも、トラブルは突然起きてきたわけではなく、トラブルへの道筋は、すでにあったのです。
気づいたら、解決策を探し、なんとかしようとします。
自分の手に負えない時には、人を頼ったりもします。
そうして、目の前のトラブルが消えたとしても、習慣が変わらなければ、いずれまた同じことが起きてきます。
また同じことを何度も繰り返したくなければ、選択や習慣を変えるしか、道はないわけです。
でも、習慣を変えることには、抵抗感を感じる人が多いです。
なぜなら、やりたいことをやってきた結果が習慣になっているわけで、トラブルを再び起こさないために習慣を変えるということは、『やりたくないことを選択する』ということだからです。
今までの選択を振り返ってみよう
私は起きたトラブルを解決することよりも、トラブル自体が起きないようにした方が楽だと思うんです。
何かに失敗したときや、結果が望むものではないとき、また、トラブルが起きやすいと感じる方は、そこに至るまでに、自分にはどんな選択があったのか、考えてみてください。
言わなきゃいけないことを言わずにおく選択をしたのではないか。
離れるべき相手と、いつまでも離れない選択をしているのではないか。
人からどう見えるかで選択を続けているのではないか。
失敗への恐怖感から、挑戦を避ける選択を続けたのではないか。
その人の性格や経験値によって、選択し続けたことがあると思います。
早めに気づいて芽を摘むことで、起きてくるトラブルの8割方はなくなると思われます。
2015年02月17日