隊長の自画自賛っぷりは、なかなかすごい。
何かいいことがあったら、「さすがオレ。」
自分が話した内容を引用して、「オレ、良いこと言うなぁ。」
自分の命式の、人から理解されないという特徴を見ても、「オレの命式は素晴らしいなぁ。」
一事が万事、この調子。
さる山メンバーはそれに慣れきっているので、「また言ってる。」という感じで、微笑ましく眺めている。
時に、「ホントに自分のこと好きだねぇ」と突っ込んでみたら、
隊長 「自分の事を認められない人なんているの?自分が嫌いなんて、意味が分からない。それじゃ、生きてけないじゃん。」
なんて返事が来る。
そんな自画自賛に慣れきっている私なのに、自慢には引っかかりを感じる。
そして、その人の自慢を何度も聞いているうちに、辛くなってくるのだ。
自画自賛のススメ
自画自賛と、自慢。
一見、同じように見えるが、どうやら何かが違うようだ。
前者は微笑ましく眺められて、後者には気持ちがザワつく。
そのギャップに気づいて、「何が違うんだろう?」と、ただ見るして分かった。
自画自賛は、自分1人で完結している。
完結しているので、聞いているこっちは賞賛も何もしなくていい。放っておいても構わない。
でも、自慢の方は1人では完結せず、賞賛を相手に求めている。
こう思ってくれという求めなわけだから、自分が認めている訳ではなく、だからこそ、こう思って欲しいと相手に求めているのだ。
自慢された方にとっては、「こう思え」と、感じ方を押しつけられている形になる。
『そうか、感性をコントロールされようとしたら、そりゃ気持ちがザワつくだろうし、それが続くと辛くなるのは当たり前だよ!』
ということに気づいたので、
『これからもしも自分の素晴らしさを表現したくなったときには、自慢じゃなくて自画自賛方式を使うことにしよう!』
と思ったのでした。
2015年04月30日