その好き嫌いは本当?


好き嫌いには2種類あって、本質的に好き・嫌いなものと、観念で好いていたり、嫌っているものがあります。

※観念:親や社会のしつけや経験値から来る、『こうでなければならない』という判断基準や『これはこういうもの』という思い込み。
 

観念による「好き・嫌い」

例えば、本質的には『怠けること』が好きだったとしても、観念で『怠けてはいけない』と思っていたりすると、怠けている人や怠ける自分の事を嫌いと思ったりします。
 

本当は熱い性質なのに、ニヒリズムの洗礼を受けて『熱くなるのは恥ずかしい』と思っていたりすると、何かに熱中することを避けてしまったりします。
 

本質的には戦いが好きで攻撃的な性質だったとしても、観念で『争うことはいけない』と思っていると、戦うことを抑えてしまい、好きな戦いに対して力を発揮できなくなったりします。
(こうなると、その人がせっかく戦えるだけのエネルギーを備えていたとしても、そのエネルギー発揮ができず、余ったエネルギーを消費させるために、病気になって消耗させられることもあります。)
 

本当はそれほど相手のことが好きでもないのに、『認められたい』という気持ちが強いと、認めてくれそうな人の事を好きになったりします。


つまり、観念があると、観念の方にどうしても引っ張られてしまい、本質的な好き・嫌いが見えて来ず、自分を生かしにくいのです。


観念のチェックをしてみよう

なので、私は何かを好きとか嫌いとか思ったときには、どちらから発しているものなのかを知るために、まず自分の観念をチェックします。

例えば、以前、愚痴っぽい人がいて、その人のことは好きなのだけど『愚痴を聞くのがイヤ』だと思ったことがあります。

そのとき、『私には、愚痴を言ってはいけないという観念があるんじゃないかな?』と思い、その観念の掃除をしました。

愚痴を言ってもいいんだとすっかり思えるようになってから、再度その人でテストしました。(自分でどうなるか、ちょっとワクワクした)


結果、やっぱりイヤだったのでした。

それで、私は本質的に愚痴を聞くのがイヤなのだと分かり、以来、愚痴が始まるとやめてもらうようにお願いするようになりましたし、それでもやめない場合には場を避けることもするようになりました。

どうやら私は、人の愚痴を聞くことに、時間やエネルギーを裂くようにはできていないんだなと分かったからです。
 

まめ4

えーと、何が言いたいかというと、自分の持つ好き嫌いも、本当にそうである場合と、観念によってそう思わされている場合があるのだと、ここではまずは知っていただきたいのです。
 

2015年02月27日

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