人間関係のトラブルは、同一視から来るものが多いようだ

周りにある人間関係のトラブルを眺めていて、同一視に端を発していることがとても多いように思っています。

同一視というのは、自分と同じように相手の事を考えるということです。
 

受け取り方は 人それぞれ

人は、自分以外の体験をできませんから、自分のものの見方や対処の仕方を基準に、ものを考えます。

するとどうしても、「相手はこう思っている筈」「こういうときはこうするのが当たり前」という発想になってしまいます。
 

でも、人を観察していると、人によって全く違うんです。

そこで、「相手はこう思っている筈」「こういうときはこうするのが当たり前」と思っていると、そうしない相手を責める気持ちがわきます。

同じ体験をしても、Aさんは面白がって、Bさんは怒ったりと、感情が180度違うこともあります。

感情が違えば、その後の行動も違います。


それなのに、もしもAさんが同一視をしていると、怒っているBさんを見て、

「こんなことで腹を立てるなんて、心が狭い」

と思ったりするのです。
 

Bさんが同一視していると、Aさんを見て、

「この場面でへらへらしていられるなんて、非常識だ」

と思ったりするわけです。
 

ちょっと相手を責めている感じがしませんか?
 

でも、Aさんにとっては面白いわけだし、Bさんは腹が立つのだから、どっちもしょうがないんです。


ここで同一視をしないでいると、

AさんはBさんを見て、「あぁ、Bさんはこういうことで腹が立つのだなぁ」と思いますし、

BさんはAさんを見て、「この状況を面白がる人もいるのだなぁ」と思うでしょう。
 

そもそも他人を理解なんてできない

同一視は、相手のことを理解しようという気持ちから起きます。

「理解しよう」とするわけですから、相手の行動を自分のフィルターに適合させようとするのです。

同時に、相手にも自分の事を理解させようとします。
 

でも、人はまるっきり違うので、他人のことなんて分かる訳がありません。

「相手のことを理解した」と思っているのであれば、それは傲慢ですし、多分勘違いです。

そんなの、できるわけがないから。
 

で、理解しているつもりになったり、自分基準に相手を見たり何かを言ったりするので、関係がこじれるのです。

自分に理解できない行動であっても、その人にとっては理屈の通っていることです。
 

理解できなくても 人付き合いはできる

自分の周りにいる多数が「あの人は変だ」と言ったとしても、居場所が変われば自分の方が少数意見になることだってあるんです。

画一的に教育された多数の見方の方が、自然に反していることだってあるんです。
 

もしも、人間関係で悩んでいる人がいたら、自分を基準に相手のことを考えていないか、眺めてみてください。

そして、人を理解しようとしないでください。

理解しなくても、人と付き合うことはできるから。
 

その人が、ただそうであることを、受け入れてみて下さい。

「へー、この人は、こういう時にこう思うのだなぁ。こうするのだなぁ。」

と思うだけです。
 

その上で、合わないと思う人とはムリに仲良くしようとせず、ただ最低限の付き合いにとどめておけば、こじれるほどにはなりません。
 

2015年07月13日

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