褒められるということ

褒められることは必要?

褒められるというのは、無条件に気持ちがいいものです。


なので、人は、褒められる、賞賛される、人から認められるということを求めがちです。

そして、子供の頃は、褒められる快感を目指して、勉強やスポーツをがんばったりして、それで良かったのだと思います。


なのですが。

私はこの、『褒められる』ということ、果たして大人になっても必要なんだろうか?

と思っています。


子供の頃は必要だったかも知れないけど、思春期を超えたらもう、いらんのじゃなかろうかと・・・


世の中には『人の褒め方』的な本はたくさん出ていて、褒めることは社会の潤滑油のような書き方をされていますが、何のために褒めるかというと、

「相手を自分の思うようにコントロールするためじゃん。」と、思います。


確かに、仕事をする上でも、部下には思ったように動いてもらう必要がある。

そこで、『褒め』と言うエサを与えて、都合良く動いてもらおうというわけですが、人って、褒められたり認められたりしないと、動かないものなのか?と思うのです。


それってまるで、家畜みたいだなあと・・・

そして、褒められることを求める部下でいる限り、上司から褒められない時は、自信を失ったり、自分の存在価値を疑ったりするようになるわけで、

結局、褒められる範囲のことしかしなくなり、小さな世界に留まり、社会人として自分の采配でうまく行動し、人の上に立てるような、会社の求める人材には育っていきません。
 

褒められることを望んでいなければ

『褒められたい』という気持ちを持っていなければ、人にコントロールされることはなくなります。

そうなると、自分の中の『これをしたい』『こうすればもっと良くなる』『今はこれをやるとき』という声に従って、自律的な行動ができるようになります。


そして、褒められたいと人が思わなくなれば、人をコントロールするために褒めるということもなくなり、人はただ、思ったことを言うようになるでしょう。
ただ思ったことを言うだけでも、本当に感心した時には、相手を賞賛する言葉は出てくるものです。


その服、ステキだねぇ。

こんなことできるなんて、すごいねぇ。

あんた、大したもんだねぇ。さすがだねぇ。


あえて、人を褒めようとしなくても、普通にこうなります。

それだけで、もう十分じゃなかろうかと・・・


そして、褒められようとしなければ、褒められるという麻薬欲しさに人からコントロールされるという循環から離れられて、自分のするべきことに邁進できるようになるのではと思います。


大人の皆さん、もう、褒められる必要なんて、ないと思いませんか?


2016年03月02日

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