『責めること』について

なぜ、責めるというテーマの文章を書こうかと思ったかというと、本質から「書いて」とリクエストを受けたからです。

本質がリクエストをする時は、身近にそれを必要としている人がいるということです。
(私が誰かに読ませたくて書いているわけではありません。)

 

禁止事項を自分に課す

さて、どうして『責める』と『太る』が連結したかというと、自分への禁止事項があると、それを守れない自分を責めるからです。 

 

例えば、太りたくないと思っていたところで、太るときには太ってしまう。

太ることは禁止事項なので、太ると自分を責めるのです。

 

太るという禁止事項を解除したところ、キツい作業でもあまり疲れなくなったところを見ると、『自分を責める=疲れる』という図式が成り立つことが考えられます。

子犬上目

 

私たちは、たくさんの禁止事項を自分に課しながら生きています。

それは、世間に合わせるためだったり、親を喜ばせるためだったり、自分の願望のためだったりするわけですが、この禁止事項が多い程、自分を責める機会が多くなり、疲れやすくなります。

 

つまり、真面目で自罰的な人ほど、特に何かをしなくても、生きているだけで疲れるのではないかなと思うのです。

 
 

自分に厳しいから 他人にも厳しい

さて、自分を責める事の多い人は、人の事を責める事も多いです。

これはちょっと考えれば分かると思うのですが、自分に禁止していることを人がしているのを見ると、当然、イラッとしたり、腹が立つからです。

 

そこでさらに、怒ることも禁止事項に入っていたりすると、腹が立っても相手に対して怒る事も出来ず、腹を立てた自分をまた責めるのです。

これって、病んでもおかしくないくらい、しんどそう・・・

 
 

最近の、人の不祥事や、ちょっとした言葉の選び方を糾弾するような傾向って、根底には、自分への禁止事項があります。

そういう傾向が深まっていることを考えると、世の中の人が、自分への禁止事項をどんどん増やしているということではないかなと想像されます。

 
 

自分のことは責任を負う

生きていく上でルールを自分で勝手にたくさん作って、守れない自分や他人を責めるわけですが、

ルールがそんなに必要になるということは、責任を恐れて自分で決断しなくなった結果とも言えます。
(そういえば昔、『マニュアル世代』って言葉があったな・・・)

 

そして、自分の人生を生きる気力も出ないくらい、ヘトヘトに疲れているのではないでしょうか。

 

自分への禁止事項、あまり多いと、しんどいです。

各自が責任を引き受ける覚悟をして、その都度、自分の頭で考えることが大切かと思います。

 
 

2016年04月05日

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