「嫌い」は自分にとって損
ほとんどの方には、嫌いだったりイラッとさせられる人がいるのではないかと思います。
私も以前はそういう人がいて、人を嫌いになると、『自分が』気持ちよく過ごせないことに気付きました。
つまり、人を嫌いになったところで、自分にダメージがあるだけで、『嫌い損』だったんです。
なので、ラクをしたい私は、どうすれば簡単には離れられない人を嫌いにならずにすむだろうと、考えていた時期がありました。
もちろん、自分の為にです。
根本的な効果があるのは、もちろん観念を消してしまうことなのですが、短期間でできることではありません。
なので、根本的ではないけど、ある程度の効果が見込め、即効性もあった、ものの見方(とはいえ、単なる道理です)を書いておこうと思います。
自分の世界が正義という思い込み
類友の法則により、自分の世界の人(周りの人・友達でいられる人)は、自分と似たような教育レベルだったり、考え方をしている場合が多い。
そして、その中にいるがゆえに、みんなそうであるのが当たり前(正常)であると思って生きています。
それは、別の世界にいる人も同様です。
そんな風に、違う世界の人を、『おかしい』と思っています。
なので、こっちから見て変だと思う人は、その人から見ると、やはりこっちが変なのです。
そして、お互いに、自分の世界が正義だと思い込んで生きています。
自分の世界が正義だと思うなら、相手の世界は悪です。
でも、本当は正義も悪もありません。それぞれ感覚が違うだけのことです。
もとは「幸せになりたい」という感情
私は、『誰しもみんな、幸せになりたいと思っている。』と思っています。
自分と同じ世界の人も、全く違う人も、犯罪者だって、みんな同じように『幸せになりたくて』その行動をするんです。
『幸せになりたくて』間違いも犯します。
例えば、虐待をするという行為だって、自分が幸せになりたくてやることです。
満たされない思いを埋めたかったり、子供のしつけにその方法しか知らなかったり(自分がそうだったから)、コイツだけ幸せにさせてなるものかという思いだって、幸せになりたいという気持ちから派生しています。
そんなことやっても、幸せにはならないって、その世界にいない人が普通に(論理的に)考えれば分かる事なのですが、その人は感情が頭を覆ってしまって、普通に考えられないので、分かりません。
間違えるからと言って、それが悪いわけではなく、その人にとってはその間違いが必要なのです。
どんなにこちらに迷惑をかけてこようが、社会に害を及ぼそうが、その人にとってはそれが必要で間違えているんですよね。
さて、私は自分と同じような人が、あまり周りにいません。
なので、私の世界はそれなりに孤独で(全く寂しくはないけど)、よく、『変な人』と思われるのではないかと思います。
そしてやっぱり、みんなと同じように、幸せでいたいと思っています。
私は、自分が幸せでいるためには、周りの人も幸せでいることが必要だと思っています。
自分だけはどんな環境の中でも天国の気分でいられるとしても、地獄で暮らしていたのでは、やっぱり楽しくないと思うからです。
というわけで、とても利己的な理由で、みんなに幸せでいて欲しいと思っています。
2016年07月08日