「ありのままを受け取ることが大事」という記事を、今年に入ってから時々書いています。
折に触れて書かされるということは、とても大事なところなのだろうと思うのです。
少し前には、アナ雪とかも流行ったし・・・
おそらく、今、ありのままを受け取れるようになれる人と、なれない人とで、この先の人生が大きく変わっていくのではなかろうかというくらいの、大きな分岐点ではないかと思います。
でも、ありのままを受け取れない人は、自分がありのままを受け取れていないことに気づく事はできません。
なぜなら、ありのままを受け止められないから。

なので、少しでも理解を深めるための記事を書いていこうと思います。
(みんな、受け止めて! お願い!)
さまざまな変換材料
ありのままを受け取れないのは、物事を受け取る時に、変な変換がかかっているからです。
例えば、『これはこういうものに違いないと思っている』とか、『こうであって欲しい』とか、『受け止めたくない・そこから目をそらしたい』とか、『人の言葉をそのまま受け止めたくない(性格があまのじゃく=プライドが高い)』等々があると、受け止めたものを自分の中に取り込むまでの過程で、変換をしてしまうのです。
大きな変換材料「同一視」
今回は、ありのままが受け取れなくなる、大きな原因の一つである『同一視』について、書いてみようと思います。
人はそれぞれ、考え方も、感じ方も、能力も、まるっきり違います。
そして、それらに上下はありません。
しかし、そのことが腑に落ちてない人(誰しも頭では、そう思ってはいると思うのだけど、頭で思うのと腑に落ちるのは全く違う)は、自分と人を同一視します。
同一視するというのは、例えば自分と同じように、みんなも思っているに違いないと思っているということです。
八方美人さんの場合
例えば、八方美人の人が同一視した場合、自分は心では『ケッ』て思っているのに、相手のことを「ステキね~」とか褒めたりするので、人もそういうものだと思うわけです。
そうして、自分に笑顔を向けてくれる人も信用出来ず、裏では何を思っているのだろうと、相手の思っていることを勝手に憶測します。
自分に笑顔を向けている人がいたとして、素直にありのままに受け取れば、『楽しいと思っている』となるわけですが、
同一視する八方美人は、『どういう下心があって、笑顔を向けてくるのだろう?』と、思うわけです。
さらに、人の事を悪く思いがちな人が同一視した場合、みんなが和気藹々と話しているのを見て、ホントはお互いに嫌い合っているのに、大人だから社交辞令で仲良さげに振る舞っているかのように見えるのです。
ありのままに見れば、みんな楽しく話している。それだけのことです。
頭のいい人の場合
また、頭のいい人が同一視すると、自分が当たり前に出来ることが出来ない人を見て、「こんなことが分からないなんておかしい。この人には問題があるのではないか。」と、相手を責めてしまいます。でも、ありのままに見れば、その人には、それを理解する能力がないだけのことです。(だからといって、下にいるわけではありません)

ありのままを受け取れなくなるのは、同一視によるものだけではありませんが、同一視は大きなポイントです。
人のことを責めたくなった時や、信用出来なかった時、ぜひ、自分が同一視をしているのではないかと疑ってみてください。
同一視については、こちらも参照してみて下さい。
2016年07月22日