無意識を意識する方法
不安の正体
余計なことをつい考えてしまうのは、不安だからです。
全く知らないことや、全貌が分かっていることは、必要がないのでそれについて考えたりしませんが、一部しか見えていないとやみくもな不安を感じて、そこに気持ちがとらわれてしまうのです。
で、何が不安なのかというと、実は自分自身です。
どうしていつもこういう行動をとってしまうのか、どうしてこういう人に対して腹を立ててしまうのか、どうしていけないってわかっているのにやめられないのか、どうして自分の身には同じことが繰り返し起きてくるのか・・・
こんな風にご自身のことを『分からない』と感じられる方は多いと思います。
自分自身をしっかり分かってコントロールが自分でできるようになれば、何が起きてこようがなんとかできるという自分に対する信頼感が生まれるので、自分の外で起きることは別に恐いことではなくなるのです。
人は自分のことはわかっているつもりでいますが、自分について知っていることは実はほんのちょっと。(1割くらい?)
あとはほとんど意識できずにいる場合がほとんどです。
その無意識の部分を意識できるようになるにつれて やみくもな不安がなくなり、次第に考えなくなっていきます。必要がなくなるから。
では、どうやって無意識の部分を意識できるようにすればいいのでしょう。
感情をヒントにして 観念をみつける
ヒントは感情にあります。
私たちは折に触れていろいろな感情をうごかしますが、感情は主に、自分の持っている価値観や観念に従って起きます。
ということは、この感情を眺めることによって、自分の持っている観念を見つけることができるのです。
感情が動いたとき、人はたいていそれで終わらせてしまいます。
楽しかったら「あー、楽しかった。」と喜び、悲しかったらわんわんと泣き、怒ったらモノに当たったりして、せいぜいまずいことが起きたときにそれをリカバーしようとするくらいです。
どうして嬉しかったのか、どうしてイヤだったのか、どうして情けないと思ったのか、その原因を『自分の中に』探ることをしません。もったいないことです。
感情が動いたら、自分の中に握っている観念を見つけるチャンスだと思って、その感情について丁寧に眺めます。
物事には良い悪いはない
そのとき、『良い悪いの判断をしない』というのがポイントです。
物事には実は良いも悪いもありません。
良い悪いを判断しているのは、自分の価値観の中だけのことなのです。
例えば、人を殺すのは悪いこと、という絶対的とも思える価値観でさえ、戦争中は覆ります。
良い悪いの判断をすると、自分の中を見ているときに「こんなことを考えている自分はなんてダメなヤツなんだ」と、自分を裁いて終わってしまいます。
自分を裁きそうになる気持ちをグッとこらえて、その先を見ていきます。
具体的な観念の消し方
「ずるはしてはいけない」という観念
例えば、行列で横入りをしようとしている人を見てカッとなったとします。
普通、「ずるいヤツだ!」で自分がモンモンとするか、その人に注意をするかで終わってしまいますが、そこで自分の中を眺めます。
この例ではとても簡単に観念が見つかります。
『ずるいことをしてはいけない』という観念です。
観念が見つかったら、それを消します。
「時にはずるをすることが必要なことだってあるよね。」
と意識的に思うだけで、簡単な観念であれば消えます。
観念が消えてしまえば、ずるをしている人を見ても、「あの人は何か切羽詰まった事情があるのかも知れない」などと思って腹が立たなくなります。
ずるをしてはいけないという観念を消したからといって、自分がずるをするようにはなりませんのでご安心ください。
「失敗をしてはいけない」という観念
もうひとつ例を出します。
やりたいと思っていることなのに、なぜか実行しようとすると気持ちの中でストップがかかる場合があります。
そういうときも、「どうして急にやる気がなくなったのだろう」と自分の中を眺めると、
『失敗をしてはいけない』
『一度手をつけたことは最後までやり遂げなければいけない』
『うまくやっていかなければ』
などという観念が見つかったりします。
見つかったら
「失敗はしたっていいんだ。失敗したらそこから学べばいい」
「とりあえず試してみたっていいよね」
などと観念の書き換えをします。
観念がなくなれば 生きるのが楽になる
こんな風に、自分の中にある『~してはいけない』と思い込んでいる観念をみつけて、次々と消していきます。
消すのが難しいと感じる観念は、何か辛い経験とセットになっていることが多いですから、そういうものが見つかったときは記憶を遡ってその観念を握った当時のことを思い出します。
癒されていない自分を見つけたら、「もう大丈夫だよ」と声をかけていきます。
当時の自分が癒されると、その観念に手がつけられるようになります。
観念は、子どもの頃から親から教えられたこと、世間の常識、経験からのものなど、数限りなくありますが、観念がなくなるほど、どんどん生きるのがラクになっていきます。
もちろん、頭も静かになります。
見つけた観念はすべて消す
観念は、子どもの頃から親から教えられたこと、世間の常識、経験からのものなど、数限りなくありますが、観念がなくなるほど、どんどん生きるのがラクになっていきます。
さて、見つかった観念はすべて消していただきたいのですが、中には必要と思われる観念もありますよね。
果たしてそういうものも消した方がいいのでしょうか・・・
『はい、消していただきたいと思います。』
その理由を説明しますね。
自分がやりたいことは エネルギーが湧いてくる
子どもの頃のことを思い出してください。
好きな勉強はやっていても苦にならないのに、嫌いな勉強は苦痛ではなかったですか?同じ時間のはずなのに、授業の進むスピードも違うように感じたりし
て・・・
また、部屋を掃除しようと自分から進んでやるときはノリノリになるのに、親から掃除しなさいと言われてやるときはイヤイヤではなかったでしょうか。
このように、自分のやりたいことにはエネルギーが中から勝手に湧いてくるのに、同じ行為でも人から命令されてやらされるときは、今あるエネルギーを消耗して疲れてしまうのです。
(命令されてやるときでも、この人の言うことを聞きたいという気持ちがあれば、それは自分のやりたいことになります。)
ということは、同じ行為でも、外からやらされるのではなく、自分がやりたくてやっているように置き換えてしまえばラクちんだ、ということです。
観念は、「~しなければいけない」という思いですから、その観念を持っていると、その行為は、しなくてはいけないからしている行為となってしまいます。
でも、「~しなくてはいけない」という思いを持っていなければ、それは自分がしたくてする行為となるのです。
一家の大黒柱 Aさんの持つ観念
・・・ちょっとわかりにくいような気がしますので例で説明します。
Aさんを父親だとします。
Aさんが、奥さんや子ども達を食べさせていくために『働いて家族を養わなければならない』という観念を持っていたとしたら、Aさんが一生懸命働くことは義務になります。
やらなければいけないことなので、辛いです。疲れます。奥さんが安穏と専業主事をしていたら、お前は気楽でいいなと嫌みのひとつも言ってやりたくなります。
でも、Aさんがその観念を消してしまったとしたらどうでしょう。
愛する奥さんや子ども達に、暖かくて安全な住居を用意してあげたい。
美味しくて健康にいいものもたくさん食べさせてあげたい。
だからがんばって仕事をしよう。
一生懸命仕事をすることは、自分のやりたいこととなります。
つまり、観念がなくなると、コントロールが自分に返ってくるのです。(←ここ、大事。)
『家族のために働かなければいけない』という観念がなくなると、働かなくなるのではないかと心配される方もおられるかと思いますが、『そういう観念があろうがなかろうが、働く人は働くし、働かない人は働かない』ので、一緒なのです。
(働かない人の中にもその観念だけを持っている人はいて、そういう人は自分を責めて苦しいだろうと思います。)
観念がもとになる行動には かなりのエネルギーが消費される
行動としては何も変わらないのに、そして外から見たらほとんど同じなのに、観念があるとないとでは、エネルギーの消費量というか出所がまるっきり違うため、ラクさが雲泥の差となるのです。
観念の掃除をして、頭も静かになって、いらないところにエネルギーを使う必要がなくなったら、余裕ができたエネルギーを、思いっきりやりたいことに注ぎ込みましょう。
以前より大きなことを成し遂げられるようになっていますよ。
コツはキャッチボール
余計な事をごちゃごちゃと考えてしまう人は、ネガティブな想像力がたくましいのだと思います。
こうなったらどうしよう、こうなるかも知れないと、起きてもいない先々のことまで想像します。
実際には、想像の通りになることはほとんどありません。
なのに、想像だけで疲れ果て、チャレンジを遠ざけます。
そういう人に、トライしてみて欲しいことがあります。
相手にボールはある時は 考えない
誰かと一緒に物事を進めていかねばならない時や、人に要望を伝えて何かを変えて行きたいときは、キャッチボールを意識するのです。
要するに、相手の出方を見てから、次の手を決める(それまでは考えない)ということです。
例えで説明しましょう。
手術を受けねばならなくなったとします。
過去に、手術を受けたときに、麻酔が合わずに、術後に吐き戻して3日3晩寝ることも出来ず、苦しい思いをした、というようなことがあり、手術はまだしも、麻酔が恐怖で手術に二の足を踏んでしまうというようなこともあると思います(私の叔母の経験です)。
この場合、まずやることは下調べです。
実際に手術を受けた人の話をたくさん(必ず複数必要です)聞いたり、ネットで調べたりするうちに、今の麻酔の技術は進歩していて、相手の体質に合わせた麻酔の方法がありそうだと、分かって来ると思います。
また、最近の医療は、患者さんに苦痛を与えない方法が確立されていたり、お医者さんも客商売になっていて、丁寧に説明してくれたり、以前のように高圧的でなくなってきていることにも気づけると思います。
医療に対する不安の強い人は、これらのことを知るだけでも、安心感が出るのではと思います。
準備が終わったら、病院に行きます。
その際、お医者さんに、自分の思っていることを伝えます。
以前手術を受けたときに、こういう状態になった。
あの思いをまたするのかと思うと、恐怖で手術に二の足を踏んでしまう。
自分は麻酔で気持ち悪くなりやすい体質だと思うので、それを緩和できるような措置が取れるなら、可能な限り取って欲しい。
そんな風に、お医者さんにボールを投げるのです。
そして、お医者さんからのボールが返ってくるのを待ちます。
この時、どんなボールが返ってくるのかは、相手によって全く違うので、返ってくるまでは予想や想像をしないようにします。
お医者さんは、こちらの意を汲んで、気持ち悪くならない麻酔を取り入れてくれると言うかも知れないし、もしかしたら「そんなのは甘えだ!」と、高圧的に出てくるかも知れません。
お医者さんから返ってきたボールを見て、次の手を考えます。
こちらの意を汲んでくれるようであれば、手術をお願いする。
甘えだと高圧的に出るようであれば、自分の命を預けることはできないので、病院側に掛け合って、別の先生に変えてもらうか、他の病院を紹介してもらうなどの対処をします。
そんな風に、相手から返ってくるボールを見て、その先をどうするかを考えるのです。
叔母はこうして、とても気分良く、術後の麻酔から覚めたのでした。
あまりにあっけなくて、拍子抜けするほどでした。
考えるのは、自分にボールがある時だけです。
そして、想像だけで考えるのではなく、ちゃんと事実を調査し、情報を得ましょう。
今は、欲しい情報は、ほとんど手に入ります。
きちんとした情報が得られるだけでも、不安感がかなり軽減されますよ。
2017年03月24日