30代半ばのこと、知り合いのつてで、四柱推命の勉強をしている人のモニターを頼まれたことがある。
これからプロデビューをしようと思っていて、その前の経験を積むためにモニターを募っていたようだ。
それまで占いなんて受けた事がなかったし、ちょっとおもしろそう、と思い、気軽な気持ちで引き受けた。
そのモニターの後、なんだかモヤモヤ感が残ることになる。
鑑定時に自分の判断を入れてしまうと
当時の私は、まだ今ほど色々な事が分かっていなかったし、そのモヤモヤの正体がなんなのか、すぐには見えなかった。
しかし、時間をかけるうち、だんだん見えて来た。
その人は、観念をたくさん持っていたために、占いの中で観念を押し付けることになっていたのである。
これは良いこと、悪いこと、という判断をする。
例えば、私は非常にめんどくさがり屋という面を持つ。
自分がめんどくさがり屋だったからこそ、効率的な手段を探すようになったと思っているし、それは決して悪い性質だとは思っていない。
しかし、その人の判断の下では、その性質は悪いものだと、一刀両断にされるのである。
そして、この人とは気が合わないので、いつか離れることになるだろうとも言っていた。
私は、その人からたくさんのことを学べると思っていたので、いつか離れることになったとしても、今一緒にいる意味はあると思っていた。
ただ『気が合わない』という一言で片付けられたのが、とても不快だった。
人に相対する時に、自分の判断を入れてしまっては、相手をモヤモヤさせるのだと、この時知った。
観念の強い占い師は、相手に自分の観念を押し付けるだけになり、大事なものを残せない。
当時は、自分が占いと関わるなんて、これっぽっちも思っていなかったので、この時の体験はそれでおしまいになるはずだった。
その数年後
ところが、その数年後、佐藤と出会ったことで、私の人生に占いとの関わりが生じた。
そして、それまで私がやっていた観念の掃除が、占い師にはとても大切なことだと気付いたのである。
あの時、不快なモニターを受けたことが、大きく役に立った。
人生、何が使えるか、分からないものである。
さて、モニターを受けた当時、それまでやっていたデザイン事務所を閉じたばかりだったが、その人は、あと数年やっておけば、まだ儲かったのに、もったいないと言っていた。
私はピーク時にデザイン事務所を閉じたので、確かにもう数年は儲かっただろうと思う。
しかし、たまたま時流に乗ってうまく行っていただけで、自分の力ではその先には行けないと、見切りをつけたのだ。
算命学の話を聞くようになって、確かに表面的にはもう少し続けた方がいいような感じだった。
しかし、深く知ったときに、その時終えたのは絶妙なタイミングで、続けていたら大変な事になっていたことが分かった。
モニターになったのが、事務所を閉じた後で良かった。
閉じる前だったら、その人の意見を聞いて、延期したかも知れない。
観念の多い占い師、学びの浅い占い師は、危険だと私は思う。
人の人生を左右する可能性のある仕事なので、人を観るなら、自分を磨いて、しっかり勉強してからにして欲しいと思うのである。
2017年07月12日