流れに抗うと疲れる
流れに乗るのって、案外簡単だと思っているが、流れに乗れていないなと思う人もたくさん見かける。
乗れていないどころか、どんどん逆方向に邁進していく人も、時々見かける。
急流を泳いで遡ろうとしているようなもので、それは自分も辛いだろうし、生きているだけでヘトヘトに疲れるだろうし、そもそも遡るのは、無理じゃなかろうかと思う。
海水浴で流されて学んだ
小学生の頃、海水浴で離岸流に乗ってしまったことがある。
兄弟3人で浮き輪につかまっていて、沖にどんどん流され、3人で必死で岸に向かおうとしたが、全く無駄だった。
心配そうに岸に佇む母の姿がどんどん小さくなるのを見て、
「お父さん、お母さんは、3人の子供を一気に失ってしまうんだなぁ。辛いだろうなぁ」
と思った。
自力で帰る事をあきらめ、巡視船に助けてもらおうと思ったら、突然潮の流れが変わった。
離岸流から離れたのだ。
そして今度は逆に、すごい勢いで岸に戻っていった。
本当にあっという間だった。
その経験で、流れに逆らっても意味が無いことを知った。
それどころか、逆効果になる。
例え望まない流れでも、とっととそれに乗ってしまい、潮目が変わるのを待った方が良い。
もしも何か努力をするのであれば、岸に向かおう(逆方向)とするのではなく、真横に向かって、離岸流から離れることが重要だ。
ということを、その時学んだのだった。
それで私は、流れに乗る事を重視するようになった。
だって、ラクしたいし、余計な苦労や努力はしたくないもの。
そんなわけで、今回は流れに乗るコツについて、書いてみようと思う。
「流れ」にのるコツ
「どちらも受け入れる」という覚悟
流れは、ただ乗っておけばいいだけなので、全く難しいことではない。と思う。
コツは「どっちでもいい」である。
例えば、二つの選択肢が現れた場合、多くの人はどちらかを選び、決めようとする。
そこで、どちらかを選ぶのではなく、どっちになっても受け入れる覚悟を決めるだけだ。
覚悟を決めたら、ボールを投げる。(以前の記事、『コツはキャッチボール』を参照)
伝えるのは、私はこう思っている、こう感じている、こう希望している、ということだけ。
そうして、相手の出方を待ち、キャッチボールの結果、どう展開しても、それを受け入れる。
それだけだ。
どちらかの道を進む事になったら、そこで一生懸命やる。
それをやらされると言う事は、そこから何かを学べると言う事だ。
不本意な道だったとしても、その道を進む過程で学んだ事は、いつかの何かに繋がっていく。
そして、どんなことも、いつか終わりが来る。
その場所からの学びが終了したときだ。(学びが遅ければ、いつまでもそこに留まる)
一生懸命やって成果が上がったことでも、終わる潮目になった時には、やっぱりそれを受け入れる。
地位や名誉や金銭等のメリットを得られていると、なかなかそこから離れられないが、『どっちでもいい』と思えることができていると、終わるべき時に終わることができる。
続くのであれば、まだそこから得られることがあるということだし、やめる事が流れであれば、そこに居続けても、しんどくなるだろう。
流れに乗って、やめる事が出来れば、次の潮目が巡ってくる。
その繰り返しである。
目標は学ぶ度に更新する
そう聞くと、ただ流れに乗っているだけで、目標を持っても意味がないのではないかと思うかも知れないが、目標を持つのは結構アリだ。
目標はアンテナとなり、流れに乗りつつも、その目標を達成するために必要な情報を、効率的に集められるからだ。
ただ、その目標は、絶対ではないことも覚えておいて欲しい。
流れに乗って、学んだ事が蓄積され、色々なことが分かって来ると、目標も変わって然るべきだと思う。
その時には、やっぱり目標にも拘らず、更新していっていただきたい。
流れに乗れなくするもの
流れに乗れなくなる要因は、個人的な『思い』だ。
あれはイヤ。これはやりたくない。こうしたい。こうありたい。こうなりたい。こう思われたい。私にはできない。
それらの思いが、『どっちでもいい』と思わせなくさせるので、そういう思いやコダワリがあまりに強いと、流れに乗りにくくなることを知っておくだけでも役に立つと思う。
2017年06月05日