感覚の違い

 
 

以前、食事をした後で、同席者に

「美味しかったね。あんな美味しいものを食べさせてもらえるなんて、すごくありがたいね。」

と言ったら、

「その分の対価を払っているのだから、当然」

というような返事が来て、『人の感覚って色々だなぁ』と、ビックリしたことがあります。

 
 

私は何かを買ったとき、そのモノの背後にある歴史みたいなものに、思いを馳せずにはいられないようなところがあります。

それがどうやって生まれたのか。

どんな風に商品化されたのか。

そこに至るまでの技術面の苦労。

作り手の腕を磨く努力。

などなど。
 

まめ2


以前、作家活動をしていたことがあるのですが、その時、作りたいものだけではなく、売るためのもの、つまり商品も作っていました。

何かを商品化する時って、生み出してから店頭に並ぶまで、必ずかなりの苦労なり努力なりがあるんです。

どんなに小さなものでも、スムーズにできたものなど、ひとつとしてありません。

 
 

そして、えらい大変な思いをして作った割に、売れるとは限らず、在庫の山を抱えることも当たり前・・・。

それが商品。

まめ4


そういうのを身にしみて知っているので、商品の背後にある、かかわってきた人々の顔がどうしても見えてしまい、その商品の完成度が素晴らしいほど、ここに至る迄の努力は尋常ではなかったのだろうなぁと推察されて、頭が下がってしまうのです。

 
 

なので、どんなものに対しても、『お金を払ったから当然』という感覚には、どうしてもなれない。

食事にしても、その料理人が腕を磨いてきた歴史を利用させてもらっているわけで、その料理が材料とその時使った時間によるものだけとは思えないのです。

 
 

でも、私のこういう感覚も、私個人の経験によるものであって、おそらく想像すらできない、意味すら分からない人もたくさんいるんですよね、きっと。

 
 

同じものを見ても、自分以外の人がどう思っているかは違う。

せめて、これだけでも、しっかり覚えておこうと思うのです。

 
 

2018年05月11日

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