商品を手に取った人を想う
『感覚の違い』という記事に書いたように、私は商品の背後に思いを馳せるようなところがあります。
何かの商品を作っている、あるいは研究・開発している人が、自分の家族や親戚である姿が想像され、そうなるとその人は、家族や親戚が利用するのだと思えば、いい加減な仕事をするはずがないと思ってしまうところが、どこかにあるのです。
しかしながら、実際には、いい加減な仕事をしている人も多いと思います。
できりゃいい。
儲かりゃいい。
自分の目の前の仕事がこなせりゃいい。
良い商品を作ったり、より良いサービスを提供することよりも、与えられた作業をやって、とっとと帰りたい(仕事はやらされるもの)という思いで仕事をしている人も、たくさんいるのだと思います。
おそらく、自分の作ったものが、特定の誰かの手に渡るということが、イメージ出来ないのではないかと思うのです。
その誰かが、自分の家族だったら、親戚だったら、大事なひとだったらと思えると、いい加減な仕事はできなくなるのではないかなぁ。
知らない人だったとしても、その人にも愛する家族やつながりのある大切な人達がいることでしょう。
想像力って、大事です。
相手(お客さん)の顔が見えないところで仕事をしていると、自分が目の前で作っている商品が誰の手に渡るのか、商品を手に持った時、その人がどんな顔をしているのだろうか等、なかなか想像出来なくなってしまうのだと思います。
でも、必ずお客さんはいて、その全員に、何らかのつながりがあるんですよね。
想像力は「真摯さ」を支える
最近、やたらと『真摯さ』という言葉が響きます。
目の前の仕事に、真摯に向き合う。
『仕事』は必ず、誰かの役に立つものです。
なぜなら、誰かの役に立ったり喜ばせることができるから、対価を払ってもらえるからです。
誰の役にも立たず、ただこなすだけの作業で対価を受け取れることなど、普通はあり得ないわけで、仕事をするにあたって、ひとりひとりがその当たり前のことを忘れてはいけないのではないかと思うのです。
仕事には、真摯な姿勢が不可欠で、それが社会で生きていくと言うことなのだと思います。
そして、真摯な姿勢を支えるのが、想像力なのかも知れません。
2018年05月16日