不幸と比較

比べることから「不幸」は生じる

例えば、大地震が起きて、周りの家が全て潰れてしまったとすると、呆然とするものの、さほど嘆き悲しんだりしないのではないかと思います。(この場合、家族はいないと仮定します)

一方、火事などで自分の家だけが焼けてしまった場合、運命を呪ったり、自分は不幸だと悲嘆に暮れたりしがちなのではないでしょうか。

『家を失う』という状況は同じですが、そこにまつわる感情には、かなり隔たりがあるということは、想像できるでしょうか。
 

この様に、一見同じなのに、中身が違うというような場合は、そこに何らかの理由があり、その『理由』が大事なことを指し示していると、私は思っています。

例えば、上記の例では、前者はしんどい思いをするのは全員ですが、後者は自分ひとりです。
つまり、他人と比して自分だけが辛いと、人は不幸を感じるわけです。


一般的に、

『辛いこと=不幸』

だと思われがちですが、実は、

『不幸=比較』

なわけです。

比較の気持ちがなければ、辛いことはただの辛いことであって、不幸とは感じないわけです。


 

生きていれば色々なことが起きます。

楽しいこともあれば、辛いこともある。

今、楽しそうに見える人も、自分が楽しいときに辛い目に合っていたりするものです。


辛いことが起きたとき、それを『不幸』だと感じるのであれば、自分の中に比較の気持ちがないか、内面を見つめてみると良いのだと思います。

そして、比較の気持ちを取り去ることができれば、その辛いことはただの辛いことであって不幸ではなくなるので、嘆き悲しむこともなく、人を恨むこともなく、淡々と超えられるようになります。

そうなると、辛さもただ超えりゃ良いだけのことで、案外ラクちんだったりしますので、お試しあれ。


2018年05月18日

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