『苦痛』を『楽しい』に変える

行動は同じでも 意識は正反対

友人が、500円玉貯金を始めたそうです。
溜まったら30万円になるそうで、その暁には何やら楽しげなことをやりたいらしい。

彼女はワンコインで参加できる会を運営していて、500円玉がすごい勢いで貯まっていくそう。
以前は、「小銭、重くて邪魔だなー」と思ってたのに、貯金を始めて目的ができたら、それが嬉しくなったのだそう。

そして自分でも、自分のその気持ちの変化に「我ながら、この変わりようはなんだ?!笑」と、驚いていました。
同じことなのに、そこにまつわる気持ちが正反対なの、分かるでしょうか?


そらまめイラスト

ここにも何度も書いていますが、私はラクを求めて生きてきました。
『ラクしたい』って、一見『怠けたい』と思えますが、怠けたところで苦しいばかり、楽になんてなりません。

そしてある時、ラクって結局、こういうことなんだと思い至ったわけです。


親から「勉強しろ」って強制されたら、勉強は苦痛です。
でも、自分でも好きな勉強というのもあって、それは言われなくてもやってしまいます。
『勉強する』という行動は同じですが、そこにまつわる意識は正反対。
一方は苦痛で、もう一方は喜びです。


やることはちゃんとやっておかないと、真っ当な人生を歩むことはできません。
まして、『楽しく生きたい』『苦しみたくない』『悩みの人生を送るのはイヤ』『人生を充実させたい』『自分を活かしたい』など、
『ただ生きていれば良い』以上の思いがあるなら、それに見合った行動(努力)は不可欠となります。

それにまつわる行動をイヤだイヤだと避けていると、思いを叶え、望む人生を歩むことなどできないどころか、破綻する可能性も高くなります。

「楽したい」のなら コツコツとやる

以前、ラクを求める過程で、『実力は運には勝てない』ことに気付き、どうすれば運を上げられるのだろうと考えていた時期があります。

そして、『運を上げるには、目の前のことから逃げずに、コツコツ努力する』ことだという結論に達しました。
(どういう過程を辿ってその結論が出たかは忘れてしまいましたが、後に、算命学の奥義もこれと同じだと知りました。)


 行動が不可欠なら、『嫌・苦痛・やりたくない』を、意識や思いや考え方を変えることで、『嬉しい・楽しい・やりたい』に変化させることができれば、望む人生をずっと歩み易くなります。

いつ頃だったか、『これが本当のラクなんだ!』という結論に達したわけです。


どうせ逃げられない

最初はやりたくないと思っていた事であっても、続けているうちに出来ることが増え、面白さに気付き、やりたいことに変化していくことも多いです。

しばらくは、苦痛(だと思っていること)に耐えることも、場合によっては必要だったりもします。


行動をしたくないあまり、精神性に逃げ込もうとする人も多いです。

そもそも精神性を向上させることは、行動しやすくなるためにあるのだと私は思っていますが、ある程度精神性が高まると、準備ができて、自然に(というか、無理矢理に)行動させられる日が来るので、多分逃げ切ることはできません。

あきらめて、とっととやることやってしまった方が早道です。


2018年08月27日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前

ウェブサイトURL