激しい凸凹をもつ 才能がある人
算命学では、才能を病気のような凝り固まりだと言っています。
才能があると、使おうとしなくても使ってしまいます。使わないと苦しいからです。
才能が長期に渡ってうまく発揮されれば、凝り固まりが次第に融解していき、自分と溶け合っていく・・・ようです。
さて、一般的に人は才能を持っている人をうらやましいと思います。
あの人のように絵が描けたら・・・
あんな風に歌えたら・・・
あんなにアイデアがポンポン湧いていいなぁ・・・
私も天才を何人か知っていますが、けっこう大変そうです。
ある部分が突出しているがために、その他の大事なところが欠落していたりして、その欠落っぷりは、まともに社会生活を営むのを阻害されるほどだったりします。
ゴッホなど、今でこそ大画家として有名ですが、存命中は絵がほとんど売れなかったそうです。
また、うまく世に出られればいいのですが、もう一歩のところであきらめられず、いつまでもその道を目指してしまうのも才能が豊か故ですし、次々にアイデアが湧いてしまうためにいろいろやりたくなってしまい、ひとつのことに専念できず、何も形に残せないということが起きたりもします。
才能があるって、けっこう大変なことのようです。
何しろ、病気のようなものですし。
才能はカレーの具のよう
さて、冒頭に書いた『才能は凝り固まり』という算命学の定義を、隊長は『カレーのようだ』と表現していました。

作ったばかりのカレーは具がゴロゴロとしています。
しかし、発揮して煮込まれるうちに、具は溶けていき、他の具やルーと混ざり合い、渾然一体となっていきます。
溶けてしまえば、具の判別はできなくなりますが、味に深みも出て、美味しくなります。

私も、このドロドロカレーを体験したことがあります。
陶芸家をやっていたときです。
作品を作りたくて作りたくて仕方がなく、衝動にかられるように作っていたのですが、これは表現が不全だったため、具がゴロゴロしていたのです。
しかし、作品を作ることで、自分の内面を表現し、それらを見て行くことで消化されていき、具が溶け込んでしまいました。
すると、作品を作りたいという気持ちもなくなってしまったのでした。
私の場合は、仕事で消化すれば数年で溶けてしまう程度の小さな具だったのだと思います。
しかし、一生かけても溶かしきれない程の、大きな具を持って生まれた人もいるわけで、それはそれで大変だろうなぁと思うのです。
一方、算命学では『無剋の型』と言って、見える才能が何もないという人もいます。
これは、無能ということではなく、凝り塊がなく、最初から溶け込んだ、ドロドロカレーの人です。
私は、自分も人も気付くことなく、自然に発揮されている才能ってとても尊いし、実はこういう溶け込んだ才能が世の中を支え、安定させているのだろうなぁと思うのです。

2018年11月09日