合わないけど 工夫すれば補い合える
いつも一緒にいるので、仲が良いのではないかと思っている人が多いのではないかと思うが、実は隊長と私は、ビックリするくらい気が合わない。
好みもペースも反対だし、合う部分がほとんどない。
お互いに自分を乱されまくるので、頻繁にイライラするし、しょっちゅう喧嘩もする。
しかし、その合わなさ故に良いところもある。
お互いに自分にはない考え方をするので、違う視点やアイデアを教えてもらえる。
そしてなにより、お互いに全く違う才能を持つので、一緒に行動することで、自分にはない相手の能力を使い合うことができるのだ。
ものすごく、お得である。
そして、現段階では、隊長と私の利害は一致している。
協力し合えば、自分ひとりでは行くことの出来ない場所まで一緒に行くことができる。
つまり、一緒に行動することによるメリットはたくさんあるわけだが、同じくらい合わない部分のすりあわせをする必要がある。
本当に疲れるが、今の私の目的には、隊長の才能を使うことによるメリットの方が上回る。
その場のしんどさや努力から逃げるために、その大きな利益を手放すほど、私は愚かではないと思う。
感情を優先させると 本来の目的を忘れてしまう
さて、こういうことって、世間にはたくさんあると思う。
様々な人間関係で、両者の利害が対立することは、滅多にない。
殆どの場合が、協力することで、良い結果を残せる。
例えば上司と部下だったり、先生と生徒だったり、夫妻だったり、取引先だったり、親子だったり。
協力し合って結果を残し、所属する団体に利益をもたらし、自分の評価と経験値を上げ、望む未来への布石を打つという意味で、ほとんどの場合、利害が一致する。
その、利害が一致しているはずの人達が、協力し合って利益を取りに行くことができなくなる理由は、常に『感情』である。
自分の望む様にしてくれない。
不公平が許せない。
上から目線なのがイヤ。
命令されるのがイヤ。
態度や言葉遣いが嫌い。
利用されたくない。
言われたことに傷つく。
さらにそれらを言えないことで、腹に溜め込み、苦しくなる。
隊長は人に命令するのが才能の一つなので、自然と私が隊長の命令に従う機会が増えるが、そういうのを見ている人に、「よく一緒にいられますね」と言われることがある。
その人は、命令されることがイヤなのだろう。
もしも、私が命令される度にいちいちカチンときて、それを言えずにただ我慢していたら、関係は破綻するだろう。
しかし、視点の高い隊長の命令は、理由は分からなくても従っておいた方が、先々良い結果になることを私は知っている。
そして、無理難題に思えても、それを超える度に、私のスキルは上がる。
どうしても耐えがたい場合は、話し合って処理すればいいだけのことだ。
『命令されるのがイヤ』
人はそんな小さなことで感情を揺らし、目的を忘れ、自分に利をもたらす関係を壊してしまうのである。
感情を乗り越えて 利を得る
小さなことと言ったが、目的に比して、感情は自力でなんとかできる、些細な事だと私は思っている。
今までそうしてきたし。
ただ、些細な割には感情は暴れ馬だ。
自分の傾向を知り、制御する方法を知らないと、人生に関わる大きな目的までをも破壊するような、とんちんかんで重大な決断すら自分にさせてしまうのが、感情である。
相手は自分ではないので、価値基準も物の見方も考え方も全く違うため、自分の望む様にならないのは当然で、感情が整理できないのなら、事実を整理したり、話し合ったり、自分の物の見方を変えたり、時には喧嘩をしてそれを解消する努力が必要だ。
努力せずして乱れた感情が自然に消えることはない。
そして感情は、その都度整理することができれば、後に残ることはなく消えてしまう。
共にそれができる相手とは、同じ利を取りに行けると思う。
腹も割らない、喧嘩も交渉もできない相手と一緒に高みに登ることなど、できないのではないかなぁ。
人間関係は二人だけで成立するものではないので、そこに他の人が加わることで複雑にはなるが、基本はそこからだろうと思っている。
2018年11月19日