すべては自分、自分はすべてと考えよ

観念があると 本質からの声が聞こえない

私たちは観念(『~でなければならない』というような決めつけのようなものや思い込み)を多く持っていると、考えたくなくても頭が勝手におしゃべりをします。

本質は常に私たちにヒントを投げかけていますが、頭のおしゃべりは声が大きいので、本質からの声(小さい)はかき消されてしまいます。

しかし、観念がなくなってきて、頭のおしゃべりが少なくなるにつれて、本質からの声を受け取れるようになります。

 

 
 

これは特別なことでも不思議な事でもありません。

もちろん、スピリチュアルでもありません。
(勘違いしている人が多いけど、声は神様からじゃなく自分なので、神様に選ばれた等と勘違いしないことが大事だと私は思います)

誰にでも起きる、当たり前の物理法則です。

なので、観念の少ない人や子供は、自分の心の奥からの声を当たり前に受け取ります。
というか、そもそも観念を持ったことがなく、本質から乖離したことのない人は、『自分が考えること=本質の声』となります。

 

私も観念の掃除をして、頭が静かになるにつれて、いろいろなメッセージを本質から受け取るようになったわけですが、比較的早い段階で受け取ったのが、タイトルに書いた『すべては自分、自分はすべてと考えよ』というものです。

なぜ本質がメッセージを寄こすかというと、早くその人に本来の自分に返ってきて欲しいからです。

その人が自分に返るため、観念を解消しやすくなるメッセージを伝えてくるわけです。(衆を救うための大それたメッセージなどではありません)

 
 

自分が変われば、相手の見え方が変わる

この、『すべては自分、自分はすべてと考えよ』というメッセージ、受け取った当時はぼんやりとしか分からなかったのですが、今ではつくづく、ホントに『全ては自分』だよなぁと思います。
結局のところ、自分でしかないのです。
まるで、自分に見える世界は自分だけでできているんじゃないか?と思える程です。

 
 

例えば、嫌いな人がいたとします。
一般的に、人を嫌う時には、相手がイヤなヤツだからだと思います。
つまり、相手が悪と認識するわけです。

相手を悪だと思えば、相手を責め、相手に変わって欲しいと思います。
しかし、人を変えようと思ったところで、人は変わりはしません。
人を変えようとしても、何の解決にもならないのです。

 
  

しかし、いくら相手が悪いように見えたとしても、ぐっと我慢をして、相手ではなく自分の中に原因を探します。
自分の中に相手を嫌う要因を探し出し、それに向き合います。
その際に話し合う等の行動が必要な時は、行動もします。

大抵が、見たくない自分の反映だったりしますが、そうでない時もあります。
自分の中からその要因を消してしまうことが出来たとき、相手は嫌いな人でも何でもなくなります。
つまり、それまで嫌だ嫌だと思っていた相手のことが、平気になるのです。

 
 

状況にも変化が起きる

ここで少し不思議なことが起きます。

相手のことが平気になった途端、相手が変わり、イヤだと思っていたその行動をしなくなります。
また、それまで離れたくても離れられなかった相手が、自分の前からいなくなることもあります。
(これが何故かを知りたい方は、こちらをご覧下さい。「なぜ、気にならなくなったら人から言われなくなるのか」)

 
  

このように、一見、自分以外の誰かや何かに原因があると見えるようなことだとしても、時間をかければほとんどの場合、自分サイドのみで解決できるのです。

 

私は何かがある度にそうして自分を眺めてきたわけですが、それを重ねる度に自分を理解し、それに連れて仕組みなどのいろいろなことも見えてきたのでした。

自分の世界は本当に、『自分が全て』でしかないんですよね。

 
 

2018年11月30日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前

ウェブサイトURL