怒りの仕組み

コンビニ店員が判断する いい人・悪い人

少し前に、コンビニのお客さんには、いい人、悪い人、普通の人がいるという記事を読んだ。

『コンビニの支払いでバレてしまう「人としての器量」』

 
 

もちろん、いい人悪い人の判断は、店員さんにとって好ましい客かどうか、ということだが、この記事の中で、いい人の代表は作業着姿のガテン系、そして悪い人はダークスーツの中堅サラリーマンだそうだ。

ガテン系のみなさんは一様にフレンドリーだが、スーツのサラリーマンの中には「なんでこんなことくらいで?」というようなことに突然キレる人が潜んでいるため、コンビニの店員さんはスーツの人が来ると、ビクビクしてしまうらしい。

 

これ、『怒り』の仕組みについて考えたら、まぁそうなるだろうなぁと思う。

 

「怒り」を表現するとはどういうことか

怒りは、「感じないようにしよう」と思えば感じなくすることはできるが、 本人が感じなくても怒っていることには変わりはなく、自然に消えることはない。

まずは、怒りのこの性質を覚えておいて欲しい。

 

一般的に、「怒る」というと、感情的になって大声で怒鳴りつけるような姿が想像されるが、怒りというのは本来そういうものではない。

出来事に対して、「イヤだ」「困る」「おかしい」「理不尽だ」「ちゃんとやれ」と感じる気持ちがそもそも怒りなので、怒りを表現するとは、「それはおかしいです」「やめてください」「改めて下さい」などと表明したりオーダーすることであって、決して大声で騒ぎ立てることではない。

 

怒れる人と怒れない人

大声で怒鳴ったり、怖い顔で人を責め立てるような姿は、バランスを崩しているので、人はその姿を見ると不快感を感じる。

そして、怒るとはそういうことだと思ってしまうと、「あんな姿を人に見せたくない」「怒らないようにしよう」と、ことさら怒らないように自分をコントロールしようとする。
それを続けているうちに、怒りのポイントが分からなくなり、怒れなくなっていくのである。

 
 

前述のように、怒りを感じなくても怒っているわけだが、怒りを表現しないでいると、その怒りはどうなるかというと、自分の無意識の底の方に溜め込まれていく。(自然に消えることはないから。)

この、無意識の底に澱のように溜まった怒りは、自分でもコントロール出来ない(なにしろ無意識なので)形で、表出する。
これが感情の暴発であり、人が一般的に『怒り』と勘違いしているものだ。

ガテン系の人達は、人から良く思われようという気持ちがあまりなく、普段から「イヤだ」「困る」「おかしい」「理不尽だ」「ちゃんとやれ」という怒りの気持ちを、普通に表現していると思われる。
なので、怒りが澱のように溜まったりしない。

しかし、サラリーマンや一般女性は、『いい人』でいようと怒りを抑えているので、知らず知らずのうちに怒りの澱を溜め込んでいる。

 
 

ここで、女性は人に怒っている姿を見られるのをことさら嫌がるので、親、夫、子供など、家庭内で甘えられる身内に暴発させることが多い。

サラリーマンなどの男性の場合は、自分より下に位置すると感じる相手に対して暴発することが多いだろう。
つまり、部下や後輩、妻、店員、弱者などである。

 
 

怒りを暴発させないために

しかし、こんな風に、怒りを暴発させられる相手がいる人はまだマシだ。
外部に対して暴発することができなければ、自分の心身を病むことになるからである。
 

つまり、怒りの暴発を引き受けるとは、その人が本来受け止めるべき病に匹敵するものを肩代わりさせられるわだから、超不快なのは当然であるし、引き受け続けていると自分が病むことになるので、なんとしても断りたい。

その為にも、肩代わりさせられかけた時には、早めに怒りを使って断固拒否することが必要である。
 


怒りは、理不尽を改めたり、自分が不当な扱いを受けないために必要なものだ。

その怒りを各自が適切に感じ、その都度適切に表現することで争いは減り、世の中は整っていく。

怒りをちゃんと表現できない人が、自分を大切にすることなどできないと、私は思う。

 
 

2018年12月27日

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