「面白い」と「楽しい」の違い
私は「面白いことが好き」と、よく口にしますが、少し前に、ふと、「そう言えば私、『面白い』は求めているけど、『楽しい』は別に求めてないな。」と、気付いたのです。
面白いことは好きなので、例えば仁鶴さんが夢に出てきたことなんかも面白くて気に入ったんですけど、別に『楽しい』ではないわけです。
で、『楽しい』を求めてないことに気付いて以来、『面白い』と『楽しい』の違いってなんだ?と思うようになりました。
例えば、遊園地とかパーティとかは『楽しい』です。
一方、勉強とか、仕事とか、落語とか、パズルなどは、『面白い』です。
『楽しい』は他力的というか、あまり能動的な感じがしません。
そのシチュエーションにいれば、自動的に楽しさが与えられるというような感じ。
そして、『面白い』は能動的で、簡単じゃないけど、『面白い』を獲得すれば、その先に『楽しい』もついてきます。
「面白い」を知ったら 「楽しい」は必要がなくなった
子供の頃は『楽しい』を求めていた記憶があるんですけど、そう言えばいつ頃から求めなくなったんだろうと記憶を遡ると、どうやら30代前半のデザイン事務所をやっていた時からのようです。
何かに真剣に向き合って、物事を成し遂げていく面白さを実感したのでした。
とても大変だったけど、おそらくあの時、薄っぺらな楽しさではない『面白い』を獲得してしまって以来、楽しさは必要なくなり、面白いを求めるようになったようです。
あの後、楽しいことにもいろいろ参加したと思うのですが、空しいというか、満足しなくなったように思います。
求めてないから。
そして、いずれ、無理して楽しいフリして参加するのにも違和感を感じるようになって、そのうち参加することすらやめてしまったんですよね。
つまり、何かに真剣に取り組んで、『面白い』を獲得した経験を持つ人は、その後『面白い』を求めるようになるのではないのかな、

そして、『楽しい』は、『面白い』を獲得する為の入り口として与えられているのではないかなと思ったのですが、どうでしょうね。
これを読んでいる方の中にも、若い頃、何かに人生を賭けて真剣に取り組んで、成し遂げたという経験を持つ方もたくさんおられるのではないかと思うのですが、いかがですか?
その後も、『楽しい』、求めていますか?
2019年02月02日