日常的な脅し

「私が傷ついてもいいの?」 という脅し

30代後半あたりのこと、なにかをしようとしているときに、ある女性にこんなことを言われたことがある。

「そらちゃんがそれをすると、私傷ついちゃうな。」

 
どうして、私がその行為をすることで、その人が傷つくのか全く理解はできなかったが、瞬間的にこう思った。

「よくわからないけど、彼女が傷つくのならやめとこうか。」
 

 

そしてその後、ハッとしたのである。

「あ、私、何度も傷つきやすい人に、こうやってコントロールされてきてる!」

次に進もうととしているときに、傷つきやすい人や弱い人に、「私が傷ついてもいいの?」「私に嫌われてもいいの?」と脅されて、その場(弱い人の仲間)に留まり続けていたことに気付いた瞬間である。
 

そして、このことにより、「お試し」の存在も知る事になった。

 

 

コントロールされないために

私はそれ以来、そういった日常に隠れた「脅し」に気付けるようになった。

本人も無意識のうちに、自分の思い通りになるように人を脅し、物事をコントロールしようとする。

心配を装ったり、親切そうに見えたりすることも多いので、一見分かりにくかったりもするが、私は気付いた時は脅しには乗らないようにしている。
脅しに乗れば、その人からのコントロールが始まるからだ。

そういうものからはできるだけ離れておかないと、自分の人生を人の感情に絡め取られてしまう。
(『他人の感情』なんて小さなものに人生を左右されるんだよ!これ、やだよね!)

 
 

先日、芸術大学の講座を聴きに行って、そこで目にした内容に傷ついたという女性が大学を提訴していた。
傷つきやすい人に気を使っていると、どんどん世の中は窮屈になっていくとは思うが、裁判を起こすのは良いと思う。

善悪の判断は人それぞれ全く違い、感情で戦うとどんどんこじれるので、事実だけを見て第三者に客観的に裁いてもらうというのは、最もラクな解決方法だ。

芸術や表現をどう解釈するかがポイントになりそうだけど、裁判官がそのあたりをどう見るのかも、気になっている。

 
 

2019年03月06日

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