世界が広がれば 自然に謙虚になる
先日、さとうに「謙虚になるにはどうしたらいいんだろうか?」と聞かれ、
「謙虚はなろうとしてなるもんじゃない、世界が広がれば、自然になるよ。」
と答えたのですが、あまりに抽象的すぎて、よく分からなかっただろうなと思ったので、ここで説明しようと思います。
『世界が広がる』というと、一見、所属する団体が増えるとか、外国に行って見聞を広げるとか、そういうイメージを持つかと思うのですが、そういう意味ではありません。
もっと平たい言葉で言うなら、『できることが増え、それに伴い分かること(想像できる世界)が増える』という感じでしょうか。
例えば、先日さとうが自らレジの設定に取り組んで、ちゃんと使えるようになるまでに丸2日くらいかかったわけですが、こういう設定に2日もかかるというのは、実際にやってみて初めて分かることです。
自分でやったことがなければ、『レジ到着=レジを使い始める』という感覚になるわけですが、実際には
・レジを受け取る
・箱から出す
・説明書を読み、理解する
・設定をする
・説明書をしかるべき所にしまう(整理)
・段ボールや梱包材等を捨てる
などなどの工程が必要となります。
レジが届いたからといって、直ぐに使えるようになる訳ではないのです。
そして、その作業は、必ず誰かがやらなければなりません。

「快適」の背景を想像する
レジだけでなく、あらゆるものにはこういった工程がいちいち必要となるわけですが、私たちが日々生活したり仕事をする上で、この工程を意識することはあまりありません。
例えば、スイッチを入れれば電気やガスは使えるし、ゴミは出しておけばいつの間にかなくなっている。
インターネットに繋げばいろいろな情報が取り出せるし、お金を払えば簡単に欲しいものが買えるわけです。
家庭の中では、朝起きればご飯ができていたり、「お茶」と言えばお茶が出てきたり、いつの間にか家の中が綺麗になっていたりするわけです。
そしてそれらは、自然には起きません。
必ずそこには誰かが関わっていて、そういうシステムや状況を作って、私たちに使わせてくれています。
そう、私たちの『快適』の裏では、必ず誰かが何かをやってくれているんです。
そして、その『快適』を提供することは、いちいち大変です。
レジを快適に使えるようにするだけのためにでも、丸2日かかったんです。
スイッチを入れれば電気がつく、これのためにどれだけの年月と試行錯誤と努力と費用がかかったのでしょう。
そういうのが何となく想像できるようになるには、経験値が必要です。
人は、自分がちゃんとやったことに関しては、その大変さが分かります。
なので、やったことへの自己主張はすごいです。
『これだけ大変だったんだ、その大変さを分かって!』という気持ちになります。
でも、経験のないことは、想像すらできません。
想像すらできないことは、スイッチを入れれば自然に電気がつくのだというように、簡単にできると考えてしまうのが、人間の性です。
それ故に、経験値の少ない人は、『自分だけが大変』だと思いがちです。
この状態が『傲慢』です。

想像ができれば 謙虚は自然に生まれる
しかし、いろいろなことを経験し、経験値を積み重ねるうち、『どんなことも簡単にはできないのだ』ということに気付いていきます。
目に見える物事の裏では、多くの人が関わって、大変な苦労と時間を伴ってそれを成し遂げているのだということが想像できるようになるのです。(そういえば、『カメラを止めるな!』なんかも、そういう映画でしたよね)
そうなれば、同じように生活していても、身の回りへの自然な感謝が溢れるようになっていきます。
自分のお金を出して何かのサービスを受けるにしても、当然とは思えなくなっていきます。
ありがとう、ありがとう。
インフラを整備してくれて、ありがとう。
美味しいものを食べられるようにしてくれて、ありがとう。
仕事をする場を整えてくれて、ありがとう。
楽しみを与えてくれて、ありがとう。
快適に生活できる仕組みを作ってくれて、ありがとう。

人への要求と自己アピールは減り、感謝が増えます。
周りへの感謝で自分が満たされると、次は周囲に対して自分をどう活かしていこうか、と考えるようになっていきます。
そうなってようやく、『謙虚』が出てくるのです。
人の役に立つような何かをしても、「自分がしてやった」という気持ちにはなりません。
「させてもらった」「役に立てた」「自分を活かせて嬉しい」という気持ちで、それをするようになります。
このように、主体的に行動し、できることを増やすこと、そうして想像できる世界を広げていくこと、それが『謙虚』に繋がっていくのです。
2019年03月26日