私はよく自然を観察していて、そこにある物理法則から、たくさんの生きるために役立つヒントをもらっているのですが、どんな風に受け取っているのか、その具体例を書いてみようと思います。
私は水が好きです。
綺麗な川とか海とか湖などがあると、そのほとりに何時間でも座って、ぼーっと水面を眺めていることもよくあります。
ぼーっと眺めてはいますが、時々何かに気付いたときには、やっぱりぼーっと「どうしてだろう?」と考えるのです。

川底(無意識)を掃除して 水面(意識)を静かにする
ある時、鏡面のようにさざ波一つ立たない川がありました。
上の写真の川より、もっとずっと鏡面です。
その時も、その川っぺりに座って川面を眺めていました。
まず最初にぼんやりと思うのは、「どうしてここの川は、鏡面のように静かなんだろう?」です。
そして、流れの速さや天候などの外部要因以外に、川底の地形が表面に影響を及ぼすのだと気付きました。
濁流になるか静かな水面になるかは、川底の地形が大きく影響している。
つまり、見えない部分(無意識)が荒れていると、心も荒れて濁流になってしまうということです。

その時、風がさぁっと吹いて、水面にさざ波が立ちました。
その時思ったのは、「鏡面のように水面(心)が静かなら、風が吹いたくらいのちょっとの変化でも認識できるんだ」ということでした。
濁流であれば、風が吹いたくらいの変化では、気づく事すら出来ません。
小石を投げ込んでも気付けない。
大きな石を投げ込めば、ようやく認識できるでしょうか。
つまり、その人に何かを気付かせようと思ったら、心が静かな人であれば、ちょっとしたことで「はっ」と気付けるけど、荒れている人であれば、大きな事を起こさないと気付けないということです。
ということは、困った出来事はその人に何かを気付かせるために起きてくるので、無意識の部分が荒れている人ほど、大きな出来事が起きてくるということです。
そして、川底(無意識)を掃除して、大きな石などを取り除くほどに、だんだん水面は静かになっていきます。
静かになれば、それまで気付くことすらできなかった、心の中の小さなゴミのような観念に気付けるようになり、細かなものまで掃除できるようになるということです。

濁流の元となるような大きな観念を掃除するうち、小さな観念にも手を付けられるようになり、そういうのもなくなってしまえば、鏡面のように澄んだ気持ちでいられるようになります。
そこに至れば、さざ波が起きた時に取り除いていけば、それで良くなるのだと分かったのでした。
※外部要因(川の流れや暴風雨)さえなければ、この状態が保てるようになるということです。
こんな風に、自然を観察することで、気づく事があったり、考えていることはこれで大丈夫なんだと確認できたりするのでした。
2019年04月21日