「人助け」と「人助けっぽい」の違い
算命学では、「知的な人助けは恨まれる」と言っています。
そんなことあるの?って思うかも知れませんが、普通によくあることです。
知性があって愛情深い人は、かなりの確率で経験していると思いますし、弁護士さんなんかも、普通に思い知っているんじゃないかな。
もちろん、隊長や私も、何度も体験しています。
例えば、借金が増えていって、どうしたらいいかわからないと相談が来たとします。
とりあえず、その借金が消えるアドバイスをしますが、そんなのは応急処置に過ぎません。
本当に大切なのは、その後その人が同じように借金を繰り返さないことで、その為には生活の見直しや行動を変化させること必要になります。
そうしないと、応急処置で借金がなくなっても、その人はまた、借金を繰り返すことになり、数年後には同じ状態がやってくるのです。
しかし、ただの応急処置にすぎない今の借金がなくなった時点で、ほとんどの人は『解決した』と看做します。
そして、その後の最も大事な部分を、「やりたくないことをやらされる」と看做すのです。
説明しても、そうなった当事者は、大概理解しません。
やりたいことだけやって、やりたくないことをやってこなかったから、今の状況があります。
その、やりたくないことを指示するのが、本当の人助けなんです。
そして、愛情があるほど、『なんとかしてあげたい』と、力も入ります。
相手は、人に知られたくない習慣を探られ、なおかつ望まないやり方を押しつけられているように感じ、恨んで後ろ足で砂を掛けるようにして、去って行きます。
そして、多くの人が好む、一見『人助けっぽい』ことは、話を聞いて一緒に泣いてくれるとか、愚痴を聞いてくれるとかです。
そんなの、なんの役にも立たないし、却ってその人をその状況に縛り付けるだけの害悪でしかないのに、ほとんどの人はそっちの方を望み、感謝するんです。
人って、不思議ですよねw
2019年07月06日