あるゆるものは「気」を放っている
これは算命学の理論でもあるのですが、私たちの体は器で、その中身である精神は、色々な気が融合して成り立っています。
生まれて3年の間に宿核という元になる精神が出来上がるのですが、その後も生きている限り、あらゆる気が融合し続けます。
周囲の人の影響を受けたり、ある場所に行けば、その場所の影響を受けたりします。
気の澄んだ場所に行けば、澄んだ気が、淀んだ場所に行けば、淀んだ気が融合します。
今、パワースポットなどが流行っているのは、気の良いところに行けば、その場所の良い気が自分に融合することが分かってきたからだと思います。
子供の頃に、親が子供に付き合う友達を選ばせようとするのも、悪い気の影響を受けないようにするためです。
気の影響を受けるかどうかには個人差があり、同じように気の悪い場所に行っても、影響を受け難い人は何も変わりませんが、受け易い人はスポンジのように気を受けてしまいます。
以前は「気」の影響を受けやすかった
30代だったときの私は、比較的気の影響を受けやすい方で、しかも、影響を受けたときにはそれが分かるタイプでした。
当時、京都に仕事でよく行くことがあったのですが、歴史のある京都には、様々な気がごっちゃに存在していて、新幹線から降り立った途端に、肩が重くなります。
特に、神社仏閣などにいくと、そこに漂っている気が一斉に寄ってくるのです。
そして、数日間、私の体の中に滞在して、消えていきます。(多分、消えたくて、通り道になっている私に入ろうとする)
悪さをされるわけではないのですが、入って来るとしばらく、体を使われたりする(好きでもないものが、どうしても食べたくなったりする)ので、これ、なんとかしたいなぁ(気の影響を受けないようにしたい)と、思っていました。
「私」という器を 自分で満たす
そんなある日のこと。
初夏の肌寒い日に、カーディガンを羽織っていました。
外出から帰ってくると、飼っていたコーギー犬が、やたらと甘えてきました。
犬としばらく遊んで、毛だらけになってしまった洋服を「あーあ」という感じで眺めました。
コーギーの毛は抜けやすく、一本一本がしっかりしていて、繊維の間に入り込み易く、コロコロを何度もかけないと取れないのです。
ところが、立ち上がってパンパンと払うと、カーディガンについていたものすごい量の毛が、パラパラと落ちて、キレイになってしまったのです。
いつもあんなに苦労していたのに、どうしてだろう?と考えて、ハッとしました。
そのカーディガンは、織りがしっかりしていて、目がしっかり詰まっていたのです。
それで、『自分に隙間があれば、他のものが入って来てしまう。自分で自分を満たして、しっかり目を詰めておけば、他のものが寄ってきても、中にまで入り込むことはないんだ』ということが分かったのでした。
必要のない気は中に入れず、外に留まるので、ちょっとパンパンとすれば、取れてしまうのです。
自分を自分で満たして、隙間を埋めてしまえば、いらないものの影響を受けなくなります。
自分のいる場所が自分にとっての最高のパワースポットになるし、パワーストーンなどに頼る必要もなくなるので、そういったものが手放せないという方には、隙間を埋める努力をお勧めします。
2019年11月09日